アンデスの地方ラジオ局は、なぜ民話番組に固執するのか

ここに載せたものは、一年ほど前、或る雑誌のコラム記事に用意したものです。その後、掲載されずにいます。執筆を巡ってある思い出があるので、ここに採録しておきます。再利用の機会を心待ちにしています。

                                                                      • -

アンデスの地方ラジオ局は、なぜ民話番組に固執するのか

                              
最近、日本では、なぜかラジオがメディアとして注目されている。AM局、FM局を問わない。既存の発想から開放されてお仕着せではない番組作りが人気の源のようだ。また、大都市圏よりは地方局のほうがなぜか活気がある。


南米アンデス山脈のほぼ中央部に、よく知られたチチカカ湖がある。大きな湖で、四国の半分位の広さがある。だから、波打ち際には、大きな波が押し寄せる。アンデスの白い峰々を背景にした大きなブルー・ウエーブ、絵になる風景だ。ブルー・ウエーブをスペイン語でオンダ・アスールというが、湖岸の町プーノに、この「オンダ・アスール」という名の地方ラジオ局がある。昔からの伝統的なラジオ局だ。設立は、プーノのカテドラルが起源で、その歩みには時代状況に翻弄された歴史がある。プーノ県の人々は、そんなことにはお構いなく、朝な夕なに必ずこのラジオに耳を傾けている。

僕は、この放送局の局長ジョヴァンニ・マンリケ氏と若手局員から成る番組編成部を訪ねた。イタリア風の名前を持つ局長ジョヴァンニは、気さくに僕を迎え入れ、このラジオ局がプーノ県で果たしてきた使命を語り始めた。組織化された公共放送が存在しないアンデス諸国にあっては、「わが局が、情報手段の少ない住民、とくに先住民集落間の伝言板や情報交換の役割を長い間果たしてきたことを誇りに感じている」と、その矜持を覗かせつつ、いかにも局長らしく、英国のBBCや日本のNHKなどのよく組織化された公共放送への関心と憧れを口にした。

ところが、局が創設以来堅持してきた使命感に話が及ぶと、ジョヴァンニは、やや苦渋の面持ちで、この局が置かれた苦難の道のりを語りだした。

最も困難な時期は、日系の大統領アルベルト・フジモリ政権の10年(1990-2000)だったという。「新自由主義者で絶大な人気を誇るこの大統領によって、プーノの人々も例外なく、援助や経済活性化に心が奪われていきました」。「地域の伝統文化の保守と啓発を使命としてきた我がラジオ局は、この時期、時代の逆風にさらされ、孤立を深めました。 ...しかし、こんな時期に、絶対に絶やしたくなかったのが先住民言語による民話番組でした」と語る。

このラジオ局は、創設以来、早朝のケチュア語時間帯、夕方のアイマラ語時間帯にそれぞれの先住民言語による民話番組を毎日放送してきた。ところが、この逆風の時代に、あえて、民話取材の精緻化から始まり、番組仕様を「語り」から「ドラマ仕立て」に技術進化させるなど、多くの心血が注がれたのだった。

この後ろ向きとも一見みえる努力の狙いは何か、をどうしても確認したかったが、残念ながら、所用で席をたったジョヴァンニからは聞き出せなかった。場所を変えて、若者が集う番組編成部でこの質問をぶっつけて見た。彼らの返答は、極めて明快なものであって、「郷土愛あっての経済の活性化であり、優先順位はその逆ではないはず」というものだった。

さらに、スペイン語ではなく先住民言語での民話放送に固執する理由に話題が及んで、口角泡を飛ばす議論の渦に全員が引き込まれていった。そして、若者らしい力強い抽象論がポンポン飛び出してきたのだった。やれ、「オリジナリティーの中にのみ本当の世界がある」とか、「最もローカルなものこそが最もグローバルなものだ」などなど。これらの言葉の一つ一つに、確かに、彼等の心意気を感じ取ることができたのだった。

K.F.

(1,400字)2010.03.30.

/*