「核」の現実 (1)  宇宙の重力・エネルギーを利用することの無理


いま、「戦場の歩き方」という本を手にしている。その中に、この類のハウ・ツーものには珍しく、極めてまじめで厳粛な事実の記述がある。それは、「核実験場の歩き方」という章にあるのだが、まづ、それを引用しよう。

人類が初めて核実験を行ったのは1945年7月16日午前5時29分、アメリカ合衆国ニューメキシコ州アラモゴードにおいてでした。世界初の原爆「トリニティー」が緑そしてオレンジ色の巨大な火の玉となり、強大なきのこ雲を発生させました。9キロ離れた観測壕でその模様を眺めていた原爆の生みの親の科学者たちですら、そのあまりの威力に恐れおののいたといいます。理論では把握していても、起きた現実は想像をはるかに超えたレベルだったのです。これは特記しておくべき事柄です。核・原子力関係のトラブルに際して、常に見られる専門家の態度の原点がすでにここにあらわれているからです。

(非日常研究会・著「戦場の歩き方」同文新書2000年. 34頁)

これは、極めて重要な事実の指摘である。つまり、原子力物理ならびにその応用工学の世界では、「理論」とその「現実」とは、元よりとてつもなくかけ離れたものであるということだ。福島第一原発の取り返しのつかない核事故が起き、原子力専門家と称する人物が、やたらと「想定外」を連発するからこういうのではない。キューリー夫妻の核理論の構築に始まり、アラモゴードでのその最初の実験に至る第一段階の時から、そうだったのである。もちろん、今日においても本質的な事実は何も変わっていない、ということだ。

Alamo Gordo での最初の核実験。1945年7月

最初に、この点をちょっと考えてみたい。人文科学、医学、生命科学、核物理学、天文学など諸科学は、いずれも人間の英知の所産であるといえよう。これらは、基本的には言語を分析ツールとし、数量を現実的資料として使う。定性分析、定量分析なる用語がこれらに当てはめられている。対象を科学的に把握するためには、どのような対象であろうが、たとえば、先住民族の神話分析であろうが、宇宙大規模構造の解明であろうが、ほぼ同様な手法を使う。それは人間という生命体が、外界の構造を認識するための方法であり、西洋文明の所産であるとはいえ、今日極めて妥当な方法と言えるだろう。

この科学としての方法の同一性と、人間と分析対象とのそれぞれの距離の相違とは混同されるべきではないし、曖昧にされるべきことではない。もとより、個々の人間集団は、地球上の特定のローカルな地域を「這う」生き物である。だから、人間と気象現象、人間と自身の経済現象などの次元と、人間と太陽系力学関係、銀河の重力・エネルギー関係の次元とは、科学的方法とは無関係に、はじめから異次元のことがらなのだ。

「地動説」を例にとって見よう。「地を這う生物」人間にとって、天体、宇宙の在り様は「天動説」が妥当な見方である。しかし、科学的方法で天体を分析すると「地動説」が妥当だということになり、人間の存在が宇宙から見て、相対的存在で認識できるようになった。それは科学的知見であり大きな成果であるが、そのことによってわれわれ人間が「地を這う生物」であることをやめて、宇宙を自由に行きかう生物になったかというと、それはちがう。(米国NASAのプログラムの究極の目標は,両者のギャップを埋めることにあるのだろう)

話を原子力に戻そう。原子力物理も神話学も、同一の科学的方法をとる。それは人間という生き物が特異な生物だから採用している方法だ。しかし、原子力は、核分裂であれ核融合であれ、地球のメインなイベントではなく、宇宙エネルギーの事象だ。だから、「地を這う生物」からとてつもなく距離のある事象だ。そうであるにもかかわらず、宇宙の1カケラに過ぎない地球の中で原子力という宇宙エネルギーを使うのは、もとより無理があるという意味で「想定外」の事象である。

人間が進化の過程で、火を利用し、そのエネルギー源として薪、石炭、石油を利用するようになったこととは、次元がまったくといっていいほど異なるのだ。石炭、石油という化石エネルギーの利用が過度になり、地球規模の環境問題が無視できなくなったからといって、その代替エネルギー原子力に求めるのは、初めっから問題のとり違いがあるのだ。誰がそのとり違いをそそのかしたのか、追及しなければならないだろう。

福島第一原発の爆発は、地上で原子力に火をつけるという「想定外」の行為を科学の進歩と錯誤したことに端を発する。たぶん口には出さなかったであろうが、「想定外」のことを実行してしまったアラモゴードでの科学者のあの戦き...、それと同じ戦きが、それ以来、何度も繰り返されてきている。日本に限って言えば、一度目は広島・長崎の原爆投下という形で、そして、二度目が今度の福島原発の爆発ということだ。いずれの場合もその結果は、取り返しのつかないほど重大なものだ。これらは、既に我々に大きな重荷になってきたし、これからも長い間、大きな重荷になるに違いない。


福島第一原発の3号機の核(?)爆発。2011年3月



(追加)
3号機爆発は、「小型核爆発」のきのこ雲と同じだということを、米国科学者が主張している。ビデオ解説を参考にしてください。




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