日本型の「核の平和利用」は、隠れた「核武装」が目的!?

日本では、原子力発電の維持と技術開発はなぜか「国策」とされてきた。日本が広島・長崎の原子爆弾の破壊を経験し、「核アレルギー」を持つ世界でも貴重な国民であるというのにである。

原発=国策を権力がどのように推進してきたかは、戦前をほうふつとさせるものがある。戦前の「戦争遂行=国策」が、特高警察、軍、NHKを始め各新聞の総権力の動員で遂行されたのとほぼ同じ構造が、現代の「国策」遂行に動員されているといってよかろう。

原発は、「核の平和利用」と呼ばれ、原発は「核アレルギー」を持つ日本人にも心理的な齟齬をきたさないように受け取られてきた。しかし、「核の平和利用」という核利用方向が本来持っていた意味づけと、日本で言われている「平和利用」は、前々からは違っていたのではないかと、私は感じていた。つまり、日本では原子力発電という「核の平和利用」は、核武装の隠蔽手段ではないのかということである。

1970年代の原発の一次世代からそうであったかどうかは、良く解らない、調べる必要があろう。しかし、「プルサーマル計画」と呼ばれる日本独自の核燃料循環システム(必ずしも順調に進んでいないが)を目指すようになった時期からは、明らかに核武装への核燃料確保と技術水準の維持を隠れた(本当の)意図としていたのではないか。「電力の安定供給」は隠れ蓑に過ぎないのだろう。官僚の既定方針のいいなりである現政権が原発の「再稼動」に固執する理由もここにある。

この点を見事に喝破したブログ記事 http://takedanet.com/2012/07/post_468b.html が、日本の原発研究と原子力行政に深くかかわってきた武田邦彦氏のブログに登場した。武田氏は、ちょっと前からこの点を匂わせていたが、ここまであからさまに言っているのはこれが初めてであろう。

このことは何を意味するのか? この隠された意図が真実であるとすると、国民は、「節電をするから再稼動反対」とだけ言っていられないかもしれない。東アジアの国際情勢を見て国土の防衛をどうするのか、つまり、平和外交に徹するのか核武装に踏み切るのか、というもっと重い議論を自らの手で(右翼のデマゴーギーに任せるのではなく)巻き起こしていく必要があるだろう。そのことを抜きにして、反原発運動は足が地に付いたものにはならない。私の主張する「原子力=宇宙エネルギー」という事実を、そこにいかに説得的に基礎付けるかが、問われていると私は考えている。反原発諸氏は、即座にこのことを行動の中心テーマにする必要はないだろうが、いずれその戦略・戦術の根本的な練り直しが必要になってくるだろう。

以下、武田氏のブログ記事を引用します。日本人全員が、是非、読まれることを希望します。武田氏のこれからの戦いに期待し、支持したい。



(以下引用)

ズバリ!なぜ?!・・・なぜ政府は原発にお金を出すの? 

原発が特殊なものだったのはすでに40年ほど前で、今では世界で430基、ごく普通の発電方法になった。それなのに政府は年間5000億円ほど(直接的には4500億円)税金を使っている。
財政が赤字の中、なぜ原発に膨大な税金を出し続けているのだろうか?ズバリ、
核武装のため」
である。つまり日本政府は原爆を持とうとしているのだ。
電力会社は社会の反撃は受けるし、事故の危険性はあるし、東電ですらつぶれる危険があるのだから原発などやりたくないのが普通である。でも5000億円をもらい、家庭用電力をアメリカの2倍に保ってくれる政府に貸しを作るためには経営のリスクは負うということだ。
消費税増税の隙間を塗って原子力基本法を改定して核兵器を持てるようにしたのも、原発が止まる事を想定したものだ。青森の再処理工場から大量の放射性物質が出ているが、絶対に止めない。再処理工場こそが核武装の施設だからである。
でも、日本を愛する人同士なら冷静に議論できるはずだ。愛国者なら闇で核兵器をやる必要はない。すでに堂々と核兵器の必要性の論陣を張っている識者もいるのだから。
平成24年7月13日)

武田邦彦

追加  (16.07.2012)
中野剛志が語るYou Tube脱原発・反原発になぜ左翼が多いのか?」http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=RQO1rJABi6o&NR=1 は、同様の問題を論じており、聞くに値する。ただし、同一の問題を論じているとはいえ、彼の官僚体質、若者を気取っているが自身既得権者サイドに身をおいた態度、さらにそこに根本を置く彼の言説の多くは、必ずしも肯定できるものではない。勿論、異なる意見は尊重すべきである。


彼は、国家と国民の責任を多く語るがゆえに、原子力がもつ生命体への危険性、あるいは原子力の反文明性を軽視しがちだ。あるいは、国家体制の保守と原子力の保守が同レベルに考えられているのかもしれない。もとより彼にとって、「国家」とは何なのか、明らかになっていなし、ただ公準に祭り上げられているように思える。

いずれ、これらの点について、批判を展開して見たい。


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