3.11の風化現象とどう向き合うか (1)


3月1日、恒例の金曜日「反原発デモ」に、フランスから帰国した2人の姿があった。エマニュエルさんと、仙台出身の妻・千里さん、さらにその家族であった。3.11後初めての帰国だそう。だが彼らは、あれだけの核事故を起こして2年にしか経っていないのに、それを感じさせない日本・東京の静けさに驚いている。

彼等を取材したフリージャーナリスト田中龍作は次のように伝えている。
「ドラム隊に合わせてホイッスルを吹くエマニュエルさん(が語るところによると)、大事故を経験したにもかかわらず原発を動かそうとする日本が、不思議でたまらなさそうだった。 妻の千里さんは、(安倍首相の再稼働容認発言に)フランスの皆はショックだったと話す。(日本は)あんなことがあったのに、何事もなかったかのような日々が続いていると続けた。 
チェルノブイリ事故とならぶ史上最悪の原発事故から、まだ2年と経っていない。にもかかわらず惨劇はすでに風化しつつある。久々に帰国した千里さんの目に映る祖国の姿だった。」(http://tanakaryusaku.jp/

「外国からの眼」で見ると、日本人の現状認識は異常だとよく言われる。なぜそうなるのか? この点をどう理解し、それとどう具体的に向き合うのかについて、これまで、あまり明快な見解にお目にかかっていない。私は次稿でこの点を考察する予定である。

                                • -

ドナルド・キーンの東京下町日記」(東京新聞 3月3日)

今朝の東京新聞の一面に同様の感慨を述べているエッセーが載った。月に一度の「ドナルド・キーンの東京下町日記」である。題して、「被災者への思い忘れてないか」。極めて示唆的であり、直情的であり、納得できる書き方だ。ドナルド・キーンは日本に長く住み、日本国籍を取得したお方なので、上記のフランス人夫婦とは事情が異なるが、彼らと同じ発想である。なぜそうなのか? 何はさておき、ここにその全文を載せる。よく読んでいただきたい。

被災者への思い忘れてないか

東日本大震災から今月で二年になる。死者・行方不明者が二万人近い。かってない大災害だったにもかかわらず、東京で暮らしていると、人々の被災者への思いが「少しずつ風化しているのでは」と感じることがある。多くの被災者は今、どうしているのだろうか。

被災直後に家を失い、家族を亡くした被災者たちが、泣き叫ぶでもなく、静かに辛抱強く、支えあって生きている姿は、私に第二次世界大戦前後の人気作家、高見順の言葉を思い出させた。

高見は、東京大空襲直後の上野駅で、すべてを失った戦災者が、それでも秩序正しく、健気に疎開列車を待っている様子に「こうした人々と共に生き、共に死にたいと思った」と日記に残した。私も同じ気持ちになっていた。

私は日本人になって一年になる。以前からの日本への愛、日本人への尊敬の念は変わらない。ただ、震災後の日本には、少しがっかりさせられている。

日本は天災が多い国だが、「方丈記」や「源氏物語」などを除けば文学作品に天災はでてこない。悲惨な記憶は残したくないからだろうか。日本では忘年会も盛んで「過去を忘れる」というのは未来志向の知恵ではあるが、仮設住宅の被災者も原発事故の避難者もそのまま。震災は現在進行形なのだ。

1957年に東京と京都でひらかれた国際ペンクラブ大会で、私は高見と知り合った。以来、著書を送ってくれた高見は、戦災者に感銘を受ける一方で、権力をもった日本人の傍若無人ぶりには失望した。それにも、私は共感する。

震災地の復興予算が「復興とは無関係の事業に流用されていた」と東京新聞や英BBC放送などが報じた。官庁の役人たちは震災を忘れてしまったのだろうか…。被災者の冷静な行動で大きく上がった日本の国際イメージが、傷ついてしまった。

先日、お会いした英国生まれで日本国籍を取得した作家のC.W.二コルさんは、宮城県東松島市の高台に復興の森を作り、学校を建設する計画を進めている。日本の有力な政財界人に復興に直接、手を貸している人がどれほどいるのだろうか。

原発事故についてもそうだ。「原発は安全」と私たちをだましてきた。ウソがばれたのに、まだ事故の検証も終わらぬまま本格的な再稼働に向けて動き出した。「2030年代に原発稼働ゼロ」も揺らいでいる。東京では夜の明るさが震災前に戻っているが、原発に頼らないための節電はどうなってしまったのか。

高見は日本の敗戦についてこう書いた。「今日のような惨憺たる敗戦にまで至らなくても何とか解決の途はあったはずだ。その点について私らもまた努むべきことがあったはずだ。それをしなかった。そのことを深く恥じねばならぬ」
今、私たちにできることはあるはずだ。

ドナルド・キーン(日本文学研究者)

第二次世界大戦の敗戦を経験した辛酸をなめた多くの日本人は、今や多くの人は死亡し、その記憶は途絶えつつあるという。確かに生身の人間は寿命に限りがあるから、数は減っていくだろう。しかし、敗戦は決して「風化」しなかった。敗戦後の日本の社会体制の中に、反省点も含めて多くのものがインプットされているし、戦中・戦後の多くの体験記が書き残されている。さらに言えば、戦後の多くの映画は、戦争を題材にしたものが多かった。それはとりもなおさず、日本人の多くに敗戦の経験がいつまでも疼いていたし、各自がそれと格闘していたことを物語っている。

しかし、敗戦の混乱と比肩しうる3.11大震災は、こんなにも早く「風化させられようとしている」。大きな違いがここにある。もちろん、決して風化させてはいけない。その風化を煽る日本人がいる一方、風化を食い止めようとがんばる多くの日本人がいる。

まずは、何故いま3.11の「風化現象」が生じたのか、それを覆すことがいかに大変なことなのかを理解していかなければならないだろう。

Traducción:
¿Cómo confrontarnos con el fenómenon de la “elosión del Desastre 3.11”? -parte 1a (todavía no hecho )






/*