リベラル派による安倍政権への核心的批判:東京新聞の社説(2013.06.07)


リベラル派が惨敗した昨年末の総選挙によって、右派の安倍政権への揺り戻しが始まって半年近くがたつ。敗れた側の落胆は大きかった。敗れた側の視線が空をさまよっている内に、安倍政権は矢継ぎ早の政策を打ち出した。

その経済政策を「アベノミクス」と週刊誌が呼び始めたが、そこに体系的な理念と体系性があるようには到底思われない。マスコミがそれを何か新しい時代の到来のように宣伝したので、これは期待できるものかもしれないという「空気」が製造されつつあった。

しかし、一方で「アベノミクス」は、はじめから揶揄と批判に晒されていた。それも当り前で、多大の資金を投入して実施された金融政策も、とある集団(海外禿げ鷹ファンド)に利用価値があったとしても、多くの国民に利するものではなかったのである。今や、「空気」に踊った一部の日本人はそのツケを払わされているし、今後も払わされることになるだろう。

現時点で、安倍政権下にある我々の立ち位置を理解するには、どうすればよいか。たぶん、次の諸点を出発点にして考えていく必要があるだろう。

1 - 国民の多数が本当に安倍政権の誕生を支持したのか?
昨年の末の選挙結果だけを見る限り、自民党への支持票は減っている。つまり安倍政権の誕生への期待が大きかったとはいえない。しかし安倍政権誕生を迎えるようになった経緯について、さまざまな議論がなされてきた。リベラル派の分裂、小選挙区制度の問題、選挙開票システムに潜む不正行為などなど。これらの議論は、これからも取り組んだ行くべき課題であるかもしれないが、まず確認しておくべきことは、自民党政権が国民の大多数によって支持されているわけではないという事実であろう。

2 - 安倍政権は「右翼」の期待をも裏切っている。
「右翼」といっても、「在特会」のようなレイシスト武装排外主義、日本の戦争肯定派、平成維新派のような現状打破派、一水会のような穏健かつ心情的愛国主義など幅が広いし、お互いに対立関係にあるものもある。安倍政権の誕生を、彼らは、大いなる期待をもって受け止めたのだった。しかし、安陪右傾化政権がもとより持っている矛盾 -つまり、過度の対米従属路線と日本独自の富国強兵路線の2匹の兎を追うという現実的な矛盾関係- が次第に露呈し始めて、大いに右翼を落胆させている。しかし、この矛盾は、安倍政権のみならず右翼全体が元来持つ矛盾なのである。

しかし、右翼は安倍政権から離れるわけにはいかないだろう。その理由は、一見成功しつつあるかに見える彼の外交にある。つまり、政治的かつ経済的な「中国包囲網」の形成に向けた安陪の積極外交のことである。嫌韓・嫌中の日本の右翼は、安倍政権のいくつかの日和見的態度に怒っても、安倍の外交姿勢を強く支持せざるを得ないからである。

3 - このような状況下で、一敗地にまみれたリベラル派は、どんな手を打つことができるのか?
はっきりしていることが、2つある。もはや分裂もできず、何の新提案のエネルギーも出てこない「民主党」は、将来のリベラルの核には決してなりえない。もう一つは、「平成維新」派は、マスコミの寵児から現在脱却しつつあり、将来性が出てきた、という点である。もちろん、近い将来、分裂が避けられないだろう。その時一敗地にまみれた非自民に、核ができるはずである。その核の中心には、民主主義政治の原理主義者である小沢一郎(「生活の党」)が位置する以外にない。

憂うべき事態は、非自民の核の形成は多分、7月の参議院改選選挙には間に合わないということである。しかし手をこまねいて、ただ見ているだけを決め込むわけにいかない。参議院過半数が安倍政権に取り込まれることを、どうしても阻止しなければならない。それに成功しなければ、自民党による日本政治の「いつか来た道への逆戻り」に歯止めがかからなくなる。

その次に、次期衆議院選挙の体制作りということに、初めてなるのである。そこでは、戦略的争点として、リベラル派の報道体制の力強い構築、さらに選挙開票体制の透明化の要求とその実現が重要なテーマになってくるだろう。

以下に引用するのは、本日の東京新聞の社説である。新聞マスコミとして最大限の言辞で安倍政権を批判している。東京新聞は、リベラルマスコミの最高峰の一つに位置しているといえるだろう。


(以下引用)

東京新聞」社説(2013.06.07)

アベノミクス − 国民主役の成長戦略を

安倍政権の経済政策アベノミクスが雲行き怪しい。異次元の金融緩和で盛り上がった市場も、肝心の成長戦略で失望が広がった。企業最優先でなく、国民が幸せになれる成長戦略に転換すべきだ。
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安倍政権は六日、成長戦略に続いて経済・財政政策の指針となる骨太の方針をまとめた。社会保障費抑制のために生活保護をさらに割り込む一方、公共事業は重視するなど相変わらずの姿勢である。

成長戦略の眼目は「世界で一番企業が活動しやすい国」にすることだという。外資を含め企業が進出しやすいよう税制や規制に配慮した「国家戦略特区」をつくる。安全性が確認された原発の再稼働をするめる。2020年にインフラ輸出を三倍に増やし、外国企業の対日直接投資額を倍増させる、などが目玉だ。

「成長戦略の一丁目一番地」とした規制改革では、解雇しやすい正社員といわれる限定正社員の雇用ルールを来年度に決める方針を打ち出した。

これらアベノミクスの成長戦略に通底するのは、経済界の要望に沿った企業利益を最優先する思想であり、働く人や生活者は置き去りにした国民不在の空疎な政策である。「富める者が富めば貧しいものにも富が自然に浸透する」というトリクルダウン経済理論によるといわれるが、米国では貧富の格差がさらに拡大する逆の効果が起きたのは広く知られるところだ。

そんな経済界に配慮したはずの経済戦略だったが、市場の反応は冷淡だ。それは一言でいえば、総花的に事業を並べたものの、目標達成までの実現性が疑わしためである。規制改革でも参院選勝利を最優先にして農協や医師会などの既得権には切り込まず、まやかしの姿勢が市場に見透かされた。

そもそも成長戦略や規制改革は誰のためのものか、国民を不幸にするものならば、ない方がましである。介護や医療、文化、スポーツなど国民の幸福につながる成長分野は多々あるはずだ。

デフレ脱却のために消え財政庁は必要である。だとしても、そのために原発再稼働を急いだり、他国に原発を輸出するのは間違っている。福島原発事故の原因すら究明できていないのである。

フクシマを経験した日本がなすべき成長戦略は、再生可能エネルギーや省エネ分野の研究、実用化に注力することではないのか。世界で一番を目指すならば、こうした地球規模で貢献できる仕事こそがふさわしい使命である。





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