思い出の一枚の写真



1995年から1996年ごろのペルー。アヤクーチョ県南西部の町 Larucay.


ペルーの当時の事情を知る人は解っているだろうが、アヤクーチョ県にあえて足を踏み入れる人は、当時、普通の人ではまずいなかった。もしいるとすれば、それぞれ特別の「目的」を持っている人だけだった。僕がそこに2年ほど出入りしたのは、もちろん或る「目的」があったからだ。

何が僕にとって「思い出」かというと、Larucayの町は、僕が初めて、アンデス山中の街中で「政府軍」兵士に銃で脅され、兵舎に連行された場所だったからだ。若い兵士だった、それも田舎者のように見えた。だから、対応にはなおさら注意が必要だ。恐怖に駆られるということはなかったが、やはり瞬間、緊張した。

これはこれで、いつまでも記憶に残るような一大事であったのだが、実は、この思い出には、後半部分がある。それは、連行されていった政府軍兵舎(砦)での出来事である。

そこは、大型機関銃が何門も土塁の上に設置され、その一つ一つに砲兵が臨戦態勢で張り付いているような場所だった。それもそのはずで、ここはゲリラとの戦いの最前線基地なのだ。もっとも、「センデロ・ルミノッソ」の首領グスマンがその2年ほど前に首都周辺で逮捕されていたので、ゲリラ戦の趨勢は、ほぼ政府軍有利に傾いていた。僕が、両手を上にあげたまま、銃に小突かれながら連れて行かれたのがそこだった。

兵舎に到着すると、ほどなくして、司令官らしい小柄な人物(軍曹だろう)が姿を現した。最初、彼は、視線も口調も鋭かったが、僕が「真性」の日本人であると分かると、その司令官は急に態度を変え、外交官に変身したのである。そして、僕は大歓迎されたのだった。それは、まるで、首都リマの街角で出会って、急に仲良くなったときの雰囲気に似ていた(本当は、このようなときのほうが危険で、十分注意が必要なのだが)。

ほどなく、ビール瓶が箱ごと運びこまれ、兵舎の中庭は大宴会場と化したのだった。その後のことは、はっきりと記憶に残っていない。どうやって、宿に帰ったのやら。宴会が始まると、僕の案内役のクスコ大学の学生が、宿から呼び寄せられたので、たぶん彼が運んでくれたのであろう。

そのようなわけだから、当時、このLarucayには、都市部から来た人、もちろん外国人などは一切見かけなかった(僕を除いて)。つまり、この町は、当時、孤立したアンデス山中の田舎町のたたずまいを、十二分に醸し出していたのである。そういう思い出のある一枚の写真なのだ。





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