嵐に直面するリベラル


- 日本の近未来像
議会制民主主義の常道を無視したファッショ的「議会運営」で、「特定秘密保護法」なるものが成立してしまった。もちろん、その[廃止法案]の提出活動は今後継続的に続けていくべきだし、その動きがいろいろな分野から湧き起こっている。もはや、秘密保護法反対を国会前で叫んだ市民だけの運動ではなくなってきていることは、事実であり、うれしい限りである。

しかし、近未来像として、我々すべてが心に持っていなければならないことがある。それは、この秘密法を根拠に市民・リベラル知識人・本当の報道人に襲いかかってくるのは警察・検察権力だけではない、ということである。それは、市民の中から市民に牙をむく集団--「自警団」とか「民軍」などと呼ばれる—-が、突如活動を開始するかもしれないということである。

防衛省発表、「航空自衛隊は、本日、東シナ海海上で中国軍と戦闘状態に入れり….」というニュースが、来年にも流れるかもしれない緊迫した状況に今ある。外交交渉でこの事態は避けられるだろうという人もいるが、むしろ開戦の可能性は高い。問題なのは、戦争の開始は、政治・社会状況を一変させてしまうことである。

現実の開戦は、社会の動きを不連続に変えてしまう。それは、戦前のドイツ、イタリア、市民戦争当時のスペインで経験されていることであり、西欧人は決してそのことを忘れていない。日本人はというと、日本でも同様な事態がかつて起こったにもかかわらず、敗戦後の「一億総懺悔」、アメリカ式「民主主義」などで頭がおかされており、国民のファッショ化の動きに対する現実感覚が極めて希薄だ。多くの日本人、とりわけリベラルな人たちは、「自警団」など、今の日本では夢物語だ、リベラルな市民活動の方が強いと考えがちなのだ。その安心感が危険なのである。

近未来の自警団の暴力の後ろには、当然、警察・検察の後ろ盾があり、市民の抵抗を圧倒するにちがいない。では、どのような集団が、このようなファッショに走るのか?を考えておいた方がいい。多分、これまでの国旗振り集団、つまり、「ネット右翼」ではないだろう。彼らは、良くも悪くも、戦後民主主義の申し子だ。しかも神道がどうのこうのと言うけれど、また、礼節を尊ぶとは言え(これは当たり前のことだ)、彼らは基本的に無神論者だ。

ファッショ集団には、宗教的保守主義の心棒と強い情熱が必要要件だ。その点、まぎれもない宗教政党である「公明党」とその周辺の動きに注意を払う必要があるだろう。つまり、今までリベラルを装っていたのであるが、この政党は、いつ化けるか解らない不気味さを宿しているのだ。


- 東京新聞の新コラム「秘密保護法・言わねばなならいこと」
このような政治社会状況の中で、ジャーナリズムの中では極めてまともな「東京新聞」が新シリーズのコラムを始めた。題して、「秘密保護法・言わねばなならいこと」。このコラム開始の趣旨を以下のように述べている。
 特定秘密保護法が成立した後も市民や学者、文化人らが廃止を求めて声を上げ続けている。戦前、中日新聞社の前身である新愛知新聞などで主筆を務めた桐生悠々(きりゅうゆうゆう)は「言わねばならないことがある」と軍部や権力に立ち向かった。いま言わねばならないことを識者らに聞き、随時掲載する。

このブログでも、本コラムからいくつかを随時紹介していく。以下に引用する第一回目は、改憲論者の秘密保護法反対論である。


東京新聞」新コラム「秘密保護法 言わねばならないこと」(1) 
2013年12月13日


権力者の責任隠す
憲法学者 小林 節氏

 人間は間違える存在だ。それ故、法制度は人間の不完全性を前提につくられている。特定秘密保護法はどうか。秘密を漏らした公務員とそれに協力した民間人に厳罰を科すのに、行政官や政治家が不正な隠蔽(いんぺい)をしても裁かれない。

 行政官と政治家は過ちを犯さないという前提なのだろう。国民を威嚇する法律をつくりながら自分たちは安全地帯にいる。裁判所など第三者の目を入れ、不当な情報隠しや「国民の知る権利」を侵していないかを監視する手続きが絶対に必要だ。政府がかたくなにそれを拒むのは理解に苦しむ。まるで悪意があるように見える。

 秘密指定の解除は原則六十年になった。責任者はみな死んでいる。権力者が絶対に責任を問われない秘密保護法は悪法以外のなにものでもない。これは権力側が国民に対して起こした反乱だ。

 秘密保護法を成立させた安倍政権は集団的自衛権の行使容認に突き進むだろう。選挙で得た多数議席を背景に国民投票に委ねることなく、憲法を骨抜きにする考えだ。同盟国である米国のために、自国が攻撃を受けていないのに地球の反対側でも付き合う義務が生じる。世界の警察官を辞めたがっている米国が肩代わりを期待している。私は改憲論者だが憲法を変えるかどうかは国民投票で決めなくてはならないはずだ。究極の解釈改憲である集団的自衛権の行使は断固として反対だ。

 権力は腐敗する。特定秘密が際限なく広がることはない、と言われても信じられるだろうか。秘密保護法は廃止させなければならない。政権を代えることが最大の情報公開だ。

筆者:<こばやし・せつ> 1949年生まれ。慶応大教授(憲法学)、弁護士。90年代から改憲論をリードしてきた。


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付録:
以下に引用する文書は、「日刊ゲンダイ」紙のコラムであり、よくある「永田町よもやま話」の一だ。真偽のほどはわからないが、もし本当だとすれば、「特定秘密保護法」に突き進む安部首相とは、いかに腑抜けたファシストか、ということだ。怒りを禁じえない。

日刊んゲンダイ12.11.2013.pdf 直





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