レジスタンス(抵抗) ・ 議会制民主主義 ・ 主権在民 (1)


ちょっと前になるが、早稲田大学小沢一郎の講演会が開かれた。場所は大隈講堂、12月19日の午後。天気予報では雪ということであったが、氷雨の降る暗い夕方であった。10か月ぶりに、元気な小沢一郎を見ることができて、心強い思いをした。講演の後の質疑応答は、あまり感心しなかった。というより、質問者の若者の政治的認識にちょっと失望したのである。やはり、彼らには「御用マスコミ」の視点が色濃く反映しているようだ。

小沢講演会の後、若い評論家によるパネルデスカッション「新しい民主主義のかたち」(民主主義にふるいも新しいもあるはずがない)が予定されていたが、それは遠慮して、私は帰途に着いた。その道中の人いきれのする電車の中で、講演の印象の強いうちに、頭の中で、これまでの自分の考えと彼の考えをすり合わせていた。それをここに書き留めてみよう。順序も内容も彼の講演からは、かなりずれてはいるが。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=N8YHtKlp3Tg#t=208
http://www.youtube.com/watch?v=UFPUZ54ybJg
http://www.youtube.com/watch?v=RzEmIYo_Rzk&feature=player_detailpage#t=340
YouTube: 小沢一郎氏特別講演「覇道の政治から王道の政治へ」2013年12月19日 早稲田大学鵬志会 .


日本国憲法
ここでは、法学的あるいは学術的な憲法論を論じようというのではない。また、政局的な議論である憲法改正問題を取り上げようとするものでもない。平和主義・平等主義・基本的人権などの現下の憲法精神が民主主義という政治の在り方に適しているかどうかでもない。

法律は国民を規制し秩序立てるものであるが、憲法は権力を規制するものだとよくいわれる。その憲法の位置づけは、好ましいものではあるが、憲法がなぜそのような位置づけに立たされているのだろうか? それを問うてみたい。それは憲法という不確かな宣言文自信から発生するのではなく、日本という特定の国が引きずってきた歴史的社会状況によってそのような扱い方が論じられているといえそうだ。

つきつめて言ってしまえば、まづ第一に、日本は、歴史的に職業階層に基づく階級社会である。そこには人間の優劣を線引きする精神が、抜き難く潜んでいる。しかし、このこと自体、原始宗教以外に宗教的規範を持たない我々にとって、自然なことかもしれない。その階層社会の今日的表現が、「公」と「私」のカテゴリーであり、「公」が「私」を支配し、上位に立つという社会体制である。そして、今日では、「公」の最高権者として官僚並びに官僚機構が君臨しているのである。

この官僚支配に風穴を開けうるのは、小沢の言うように、リベラルな「政治の力」かもしれない。しかし、それにはちょっと保留条件を付けたいと思う。その点を、以降で触れてみたい。

第二の点として、日本的「私」も、日本の歴史的積み重ねにその特徴を宿しているということである。それは、近世日本の統一に何故か不可避であった「刀狩り」に端を発していると思われる。つまり、多くの日本の人民が、近代以前に武装解除させられたということである。これは、それ以降の日本人民の権力に対する抵抗精神に大きく影響していると言える。人民の抵抗は、江戸時代の多くの百姓一揆を見ればわかるように、また明治以降の様々な「騒動」をみても、そう安々と潰えはしなかった。しかし、多くの人民は武器の使用に不慣れになり、抵抗の物理的手段を失っていったことだけは明らかである。このことが、平和な島国日本の原点かもしれない。

日本の階層社会、「公」と「私」の峻別構造は、このような社会的背景の上に成り立っていることを見落とすことはできないし、日本国憲法もこのような構造の上に乗っかて、機能してきたといえるだろう。しかし、「公」と「私」のどちらにも軸足を置いていない、やはりお仕着せの規範であり、どこか足が地についていないのである。

権力サイドは、「国家」の安寧を考えると、憲法の平和主義が欠陥であると攻撃する。しかし、リベラルな視点からも、「護憲」にしがみつくだけでいいという訳にはいかない。つまり、「民主主義」という根本的なスタンスを掘り下げてみると、リベラルサイドからも現憲法は不十分であると考えなければならないだろう。わたしは、その要点は、「自治」と「抵抗権」が人民の基本的権利であるとみなされていないことにある、と考えている。その点に触れる前に、アメリカ合衆国憲法を比較のために覗いてみよう。

アメリカ合衆国憲法・修正条項第2項
アメリカ合衆国憲法の成立事情をご存じだろうか? アメリカ法制史の研究者や学生以外はそんなに詳しくは知らないと思う。ここで簡単にそれをまとめてみると、次のようになる。1775年に始まる英国からの独立戦争は、ちょっと長期戦になり、1783年にやっとその終息を迎えることになり、その直後から、合衆国憲法が創案された。そして、紆余曲折を経て1787年後半にやっと、「アメリカ合衆国憲法」が制定されることになる。これが、現合衆国憲法の骨子であるが、これは連邦政府に関する憲章であった。つまり、連邦政府とローカル政府(自由州)の立ち位置と、自由州の自治の内実が必ずしも明確ではなかった。そのために、自由州の権利を明文化する必要があったので、1791年に10項の「修正条項」が追加されることになったのである。

さて、その「修正条項」第2項が有名な「銃器所持の権利」条項である。これは、もちろんアメリカ版「権利の章典」の基礎部分をなしている。「修正条項第2項」の条文は以下のようである。

英語原文: A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.
西語訳: Siendo necesaria una Milicia bien ordenada para la seguridad de un Estado libre, el derecho del pueblo a poseer y portar Armas, no será infringido.
和文訳: よく統制のとれた民兵は、自由な州の安全確保のために必要であるので、人民が銃器の所有し所持する権利は制限されるべきではない。」

この「修正条項」第2項は、どのような権利として認識されているのだろうか? Cornell University Law Schoolの概論的解説を、さらにまとめると、以下の2点に集約できる。
[1] この「銃器所持の権利」条項は、英国のcommon-lawに基礎を置き、英国「権利の章典」(1689)に強く影響されたものである。そして、これは、自己防衛、抑圧に対するレジスタンス(抵抗)、州の防衛に関する市民義務の執行のための自然権である。
[2] この権利は、他の権利と同様に、無制限ではない。不適切な人物(精神疾患など)による銃器の所持、不適切な場所(学校、政府庁舎など)での銃器の所持並びに使用は禁止される。
参照:http://www.law.cornell.edu/anncon/html/amdt2_user.html#amdt2_hd2

以上から明確になってくることは、連邦制度の権力(大統領)と代議制の存立の背景に、各州の銃器による自治・抵抗が許容されているということである。それは、現在では連邦軍の補完的役割になっている州兵の保持だけではなく、連邦制の民主的運営とそのチェックの役割を担っていることに注意を払う必要があろう。

つまり、合衆国では、大統領の直接選挙、連邦議会の代議士の代議制選挙など、その選挙に参加することだけが民主主義の内実なのではなく、権力の在り方を監視し、その権力に抵抗する人民の物理的力の保持を自然権として保証しているということである。代議制民主主義が健全であるとは、このような人民の手による決定的なチェック機能を備えていることをおいて他にない。その意味で、対外関係に関し謀略的政治だけが目立つち、強権的な連邦政府の在りようであるが、しかし、アメリカにおける大統領制・代議制は、根本的に民主的に構築されているといえよう。日本の現状と如何にかけ離れていることであろうか。

補足になるが、アメリカ合衆国で銃の乱射事件が発生し、多くの死者が出るたびに「銃の規制」が取りざたされ、日本ではアメリカの銃器の「野放し」の野蛮性が云々される。そのような時、アメリカ国内では専ら[2]の観点から議論されているのである。また、日本での感情的批判は、「銃器所持の権利」が、[1]の自治権に由来していることを無視するか、あるは覆い隠して議論しているのであり、何か腑に落ちないものを残していたのである。

フランス革命
ごく最近、本ブログで「民主主義と代議制は同じではない!」(2013-12-03)という記事を書いて、その中で、フランス革命の民主主義にとっての本質性を論じた。ここではその一部を再掲載しておく。

民主主義にもフランス的、英国的、アメリカ合衆国的、ラテンアメリカ的、アジア的、云々があるとすれば、日本も民主主義と言えなくもないかもしれない。では、民主主義とは何か、これがまず問われなければならないだろう。

民主主義は、やはりフランス民主主義が原点であり、民主主義はフランス革命を起点としていると限定すべきだと思う。当時のフランス人民はなにをしたか? 武器を取って立ち上がり、専制君主をとらえ殺した。つまり、武力による圧政に対する反抗であり、武力による転覆=革命、これを人民が実行したのである。国軍、傭兵などの武力のプロではなく、パン屋、革職人、商店主、学生、一部の警察官などが、その実行部隊の中心であったのだ。これが民主主義の原点ではないだろうか。もっとも、この民主主義の行為は、安定だけを望む保守派の人間たちを大いに落胆させはした。それが後の反動を引き起こしわした。

フランスでこれが可能であった背景には、中世自治都市にみられるような「自治」とそれを守り抜くため武器の使用に市民が習熟していたことを挙げなければならないだろう。

人民は、各自の職業、あるいは職分をもっている。したがって、平時の政治には代議制というものが必要になってくる。しかし、代議制は、民主主義の一面でしかなく、しかも、この舞台には多くの技術や欺瞞が介在する。さらに、多数決の原理も方便にすぎないだろう。多数決によって与えられるauthority(権限・権力)は、もとより脆弱なものであり、むしろこのような権力が独裁に走る例が歴史上多々ある(たとえばヒットラー政権など)。それでも、このように危うい代議制でも民主主義の一部であると言えるのは、いつでもauthorityは、人民の武力によって転覆されリセットされうるという裏打ちがあることが条件となる。

次に、その危うい代議制民主主義と主権在民を考察し、現在どうすべきかの戦略を考えたいが、その前に、フランスの哲学者であるJ-Jルソーの代議制民主主義が宿す欠陥指摘を聞いてみよう。彼は、その「社会契約説」の中で、イギリスの議会制度の下では人民はどうゆう存在かを描写した。
「…イギリスの人々が、その自由を享受するのは、代議士に投票する間だけである。いったん代議士に投票してしまうや否や、人々は彼らの奴隷に変身するか、あるいは存在しない者に変身するのだ。」

(つづく)









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