今度の東京都知事選は大きな意味を持つ



■ 自立する市民
日本の政局の中で、東京都知事選がにわかに重要性を持ってきた。細川氏の立候補、小泉元首相のそれへの支援が発端である。傍観者的な見方からいうと、今後これがどうゆう展開するか、結果がどうなるのか、今のところははっきりと読めない。

しかし、今度の都知事選は、日本人(この場合東京都民)にとっての「民主主義」構築のトレーニングの大きな試験問題になっているということだ。マスコミや御用コメンテーターの意見が如何に偏っていて変であるかを見抜き、原発事故の本質を思い出し、原理的に行動できるかどうかが問われているのだと思う。つまり、国民一人一人の自立が問われており、その試験をされているのである。

したがって、エネルギー問題は国政レベルの問題だ(阿部首相)、「脱原発」より経済の活性化の方が大事だ、当然の顔で語り、原発再稼働に誘導しようとする多くの報道やコメンテーターに、個人としてきっちりと立ち向かうことができるかどうか、が問われているわけである。

「喉もとすぐれば熱さを忘れる」といわれるが、現政権の原発再稼働方針は、まさにこれである。安部首相は、よく言っても、野党の時から原発事故をほとんど重大視していなかったし、何も発言していなかった。この政府方針を結局は是認していく報道姿勢をとるマスコミは、あまりにも自覚的な市民をばかにしているし、必ずやしっぺ返しを受けるに違いない。

アジサイ革命」と呼ばれた反原発の盛り上がり、それに続く「再稼働反対」デモは、いまだ挫折していないし、そのエネルギーはまだまだ燃えている。

福島「原発事故」を原理的に考えると、それは東京の問題だと、旧来から主張し続けている原理主義者・武田邦彦氏を、筆者は、高く評価している。小理屈を弄さず、単刀直入に本質を述べた氏のつぎの記事は、大きな援軍のように思える。それを引用しよう。

東京と原発 (東京の人が日本人になるかの踏絵)

細川元首相が東京都知事に立候補し、それを小泉元首相が応援するということで話題になっています。立候補する目的は「脱原発」です。

これについて「東京都と原発は関係ない」という話がコメンテーターや都民からでていますが、人間は自分の身になるとわからないものなのだな、とテレビを見ながらつくづく思いました。まるで全体を見ることができず駄々をこねている中学生のような感じがしましたが、これでは原発問題は解決しないと思い、筆を執りました。

なぜ福島に原発があったかというと、東京の人が「原発の電気は欲しいけれど、危険だから近くは嫌だ」というので、所得の低い地方に作ることになったことに端を発しています。

もし、東京の人が誠実で「自分たちの電気は自分たちで。特に原発が危険ならなおさら他人に押し付けずに自分たちの近くに作る」という態度をとったら、福島の人は被災しなかったでしょう。

また、「原発は安全だ」と言った人も東京在住、御用学者の東大も、誤報を続けたNHKも、そして「健康に影響はない」と違法な発言を繰り返した官房長官も東京の人です。つまり福島原発事故は東京の人の自作自演なのですから、「今後、自分たちはどうするのか? 誠実な人生を送るのか?」という問いに真正面から答えなければならず、それが今回の都知事選だからです。

恥ずかしいことにアメリカもフランスも電力消費地の近くに原発があり、だからこそ安全対策もしっかりしているのですが、現在の東京の人のように「自分だけ得をして危険は他人に。良いとこ取りで、あとは権力と御用学者とNHKで誤魔化す」ということをしていたら、日本人とは言えないと私は思います。

平成26年1月16日)  武田邦彦

音声は「2014011610301030.mp3」をダウンロード
http://takedanet.com/2014/01/post_689c.html


また、最近訳のわからない原発再稼働を中心とした「エネルギー構想」を発表したファシスト政権と東電と厳しく対峙し、勇敢にも一歩も引いていない泉田・新潟知事が、最近語った内容も、まさに原理主義的であり、筋が通っている。

東電破綻処理を 泉田・新潟知事インタビュー
2014年1月18日 「東京新聞」朝刊

 新潟県泉田裕彦(いずみだひろひこ)知事は十七日、本紙の取材に答え、同県の柏崎刈羽原発の再稼働を盛り込んだ東京電力の新しい経営再建計画について「最大の問題は貸し手責任のある金融機関や、株主が免責されていることだ」と指摘。東電を破綻処理して、金融機関などに責任を取らせるべきだとの考えを示した。

 東電の再建計画は十五日に政府の認定を受けた。収支改善策の柱として、柏崎刈羽原発1、5、6、7号機の四基について、今年七月から二〇一四年度中に順次、再稼働することを盛り込んだ。これに対し、泉田知事は「福島の事故の検証と総括が終わっていない。再稼働の議論をするべき時期ではない」と強調した。計画通りの再稼働は、早くも難しい状況となった。

 再建計画は再稼働が遅れれば、今年秋ごろまでに最大10%程度の電気料金の値上げが必要になるとも明記した。泉田知事は「負担するべきなのは、免責されている金融機関や株主だ」と述べ、「再稼働か値上げか」を利用者に迫る東電の姿勢を批判した。

 また、東京都知事選で「脱原発」が争点になることについては、「電力の消費地で、生活を維持するためのエネルギー政策をどうするかの議論を深めるいい機会となる」と期待を示した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014011802000122.html


東京都民は、これら武田邦彦氏、泉田裕彦氏の孤高の主張を心に留め、それに沿って行動すべきではないか。3.11の未曾有の大災害後、「連帯」をしきりに口にしたが、今こそその本気度、真価が問われようとしている。「オリンピックの成功」とか「福祉の充実」、これらは重要であろう。だが、これらを第一義に考えるのは利己的な「物取り主義」でしかないし、その前に都民として果たさなければならない責務を自覚すべきではないか。もし、このような「物取り」的な結果に終ったら、「都知事選」は、やはり一地方の首長選でしかなかった、ということになるだろう。


■ 抵抗する市民
今度の都知事選は、もう一つの面を持っている。それは、「阿部政権」下で急展開を始めたファシズムの動きの中で、「脱原発」がいかなる意味を持つかという点である。「脱原発」の知事を誕生させることは、都民の「自立」の試金石になるだろう説くことは、すでに述べてきた。

しかし、それだけの問題ではない。自覚的市民は、必ずや勝利し、「脱原発」知事を誕生させなければならない。「脱原発」候補が、善戦し、潔く戦って負けた、という事態をどうしても回避しなくてはならないし、そのための戦略戦術を我々は持ち合わせなければならない。つまり、急展開を始めたファシズムの抵抗の試金石としてどうしても負けるわけにはいかないのだ。

...今このとき、安倍の暴走がファシズムのスイッチを押してしまった今このとき、私の心のギリギリ過半数が「小泉の毒を飲んでも細川でいけ」と言っている。
ファシズムは誰にもコントロールが出来なくなる。その波頭に乗って走る現代のヒットラーでさえも、大破滅へ向かうサーフボードから降りることも向きを変えることも出来はしない。ファシズムを食い止めること。そのためには、潔い敗北がいいのか、汚い勝利がいいのか、よくよく考えてみてもらいたい。

「天敵コイズミと組む細川をなぜ応援するのか」 反戦な家づくり 2014-01-15(Wed)より

だが、昨日からの報道によると、暗雲が立ち込めている。「脱原発」候補の一本化が暗礁に乗り上げた、という報道がそれだ。続きは、事態が進んでまた、書くことにする。




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