福島被曝者に「被曝者手帳」を! (1)

はじめに

筆者は、今年3月末、福島第一原発周辺住民が放射線避難で身を寄せる二つの仮設住宅を訪れた。場所は、それぞれ会津若松市いわき市の郊外にある。訪問は、「大熊町の明日を考える女性の会」の招きで、会のメンバーと語らい有意義な機会を得ることができた。

会のメンバーは、当初の予想をはるかに上回るほど足が地に着いた「戦う女性」たちであった。実は、この旅は私にとって、福島原発事故に遅ればせながら何か貢献できるものはないかを探りに行く訪問であった。話を聞いていると、現状に対応するだけでも問題が山積しているようだ。その中に「被爆者手帳」の話題が出てきた。メンバーの話ぶりでは、今必ずしも緊急性を要するテーマのようには見えなかった。

すでに、原発事故から3年を経過した。事故当時から3年から5年後が放射線被曝による健康障害が問題になるだろうといわれていた。情報が十分ではないがチェルノブイリの例では、10年、20年後にまた新たな被曝障害の段階がやってくるとも言われている。そう見ていくと、福島に適合した「被爆者手帳」を実現していくことは、将来を見とおした重要な課題の一つになりうる、と思われるのである。

実は私自身、東北被災地、中でも福島の放射能被災地に対して、情報網の再編で貢献したいと考えている。というのは、地域で自然発生してくる団体、近年成長が著しい自主ジャーナリズム等が、地域の問題を多くは「行政」にむかってのみ問題を投げかける構図になっていないか、と懸念していたからである。既成マスコミから一線を画した情報媒体の立ち上げが、どうしても必要だと思われるのである。具体的には、自主ラジオ局の開設であった、有意義な情報交換、本当の「連帯」に役立てたいと考えているところだ。

被爆」と「被曝」について
話を、放射能障害に対する医療保護に戻そう。「被爆者手帳」は、そのシンボルであるが、福島に「被爆者手帳」の導入を実現させようとすると、問題が山積していることがすぐにわかる。

まず、「被爆者手帳」導入の第一歩となった法令「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(1957年・3月・31日 法律第四十一号)には次のように記されている。

「この法律は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的とする。」(第一条)

つまり、「被爆者」とは広島・長崎への米国による原子爆弾投下による惨劇の中で生き残った者と定義している。ただし、その被害者の範囲は、行政上拡大してされていて、爆心地周辺で直接被爆にあった者(胎児を含み)を「被爆者」とし、原爆投下後、該当市に入り放射能に被曝したものを「被曝者」として区別している。それゆえ、「被爆者手帳」も二種類に分かれている。

このような定義を前提にすれば、福島原発事故による被曝者が「被爆(曝)者手帳」による医療保護を国家に請求するのは難しくなる。つまり、法律の修正・改正が必要になるということである。

もう一つの困難な要点は、時代状況の違いである。「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」もすぐにできたわけではなかった。敗戦後の占領時代は、原爆による被害を小さく見せようという政治力が働いていた。それに風穴を開けた事件が「第五福竜丸」のビキニ環礁での被曝事件であった。その中で女性による「原水爆反対運動」の盛り上がりが国内世論・世界世論を動かしたのであった。その成果の一つが「被爆者手帳」制度の導入であったのである。

現在なお不安定な福島第一原発事故とその放射能被害に対して、「第五福竜丸」事件と同程度の外に向かった世論の盛り上がりがあるかと言えば、現状から判断する限り、ちょっと疑問だ。しかし、この60年間で大きく変わったものがある。その一つは、国民の人権意識の格段の高まりだ。もう一つは、一般的認識には到達していないとはいえ、「原爆」と「原発」は同じものだという科学的認識が浮上してきたことである。

困難が立ちはだかるとはいえ、福島の被爆者が、「被爆者手帳」に象徴される国家的医療保護を受ける権利は十分あるし、そのことを強く主張すべきだと考える。それを実現させるためには、法制度を変える必要があろう。そのために、どのような運動を構築し、世論の盛り上がりをうんでいく必要があるか?

本ブログは、そのことを過去を振り返りながら、順を追って考えていきたい。おおよそ以下のシェーマで書き続ける予定だが、順不同で飛びとびに取り上げることもあると思う。

シェーマ

■ はじめに

一部 現行制度
■ 「被爆者手帳」の法制度
■ 「被爆者手帳」制度をめぐる時代背景
A. 占領軍による原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission-ABCC)の活動(1940S)
B. 第五福竜丸事件の衝撃と反核運動 (1950S)
C. 「被爆者手帳」制度の導入と「原子力の平和利用」:反核運動がもたらした「功」と意図せざる結果としての「罪」
C-1 母親「原水爆禁止運動」の世界的波及
C-2 (東京大学名誉 教授) 都築 正男の公正な国会証言
C-3 CIAと正力松太郎の画策
D. 「被爆者手帳」制度の創設

二部 「福島第一原発事故」(2011年)にいたる背景とその対応
■ 「3.11」に至る時代背景
A  1960s―1970s年代の時代的特徴
B 「原子力ムラ」の誕生とその驚くべき支配構造  
双葉郡大熊町の事例:新たな「地主制度」
C 原子力行政の暴走「プルサーマル計画」
■ 「3.11」原発事故― (省略)
■ 民主党「菅・野田」政権の無知と背信― (省略)
■ 地元住民と全国国民の「反原発・事故の責任追及」運動
■ 国会事故調査委員会による「公聴会

三部 展望
■ 広島−長崎の「被爆障害」と福島原発事故の「被曝」の比較検討
A 両者のケースに潜む共通性1:「加害者」側の姿勢
B 両者のケースに潜む共通性2:「被害者」側の運動
C 両者に潜む異質性:とくに「3.11」以降の国民運動の脆弱性とその原因について
D 将来に向けての疫学調査体制の構築課題:特に幼児健康調査
E 被曝者保護に向けた新たな動因と運動の構築
■ 福島「被曝者手帳」創設の可能性
A 事故処理にあたる原発労働者の救済:「労働災害保険」制度の厳格な実行
B 原発周辺住民への医療救済措置1:「被爆者手帳」現行法制度の修正の道
C 原発周辺住民への医療救済措置2:新たな「被曝者手帳」法制定の道

■ 結論

(部分修正した)




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