ここは自分たちの国だ

最近、アーサー・ビナードが編集したベン・シャーンが描いた連作画「ここが家だ --ベン・シャーン第五福竜丸-- 」という本を買った。アメリカ軍のビキニ環礁での水爆実験とどう向き合うかがテーマだ。この水爆は、広島の原爆投下から9年しか経っていないのに、その威力は1000倍であった。太平洋は放射能で広域にわたって汚染され、もちろん魚介類も汚染された。さらに、日本本土に限らず陸地はどこでも、いわば地球規模にわたって放射能を含んだ雨が降りそそいだ。

こうなったら、自国の軍事戦略、または米軍の覇権戦略、日本の核の傘云々と言っていられない。先ず、自分の原点である我が家を守るべく声を上げなければならない。「ここが家だ!」と。そうすれば、日本の国土も太平洋の海原も「家」の延長であることがみえてくる。見方の転換だ。

チョット飛躍するが、市民、国民が自己主張の原点を持つとは、「ここが家だ!」と言いはることからしか始まらないのではないか。またちょっと表現を変えて言えば、「ここは自分たちの社会だ」と主張することだろう。

「ここは自分たちの社会だ」、だから、国際情勢がどうあろうと、権力がどんなに暴走しようが、官僚がどんなに狡猾であろうと、自分たちの感性と直感で私達の原点を守るべく言いたいことをいい、訴える。これがデモであり直接行動だろう。この日本の社会と自然は、外国の覇権国家の領地でもなければ,「お上」の領地でもないはずだ。しかし、現実はそうなっていない。私達は、下を向かず顔を上げて叫ぼう、「ここは自分たちの社会だ」。そのために何の遠慮が必要だろう。

選挙とは代議制システムに他ならない。選挙によって我々は代議士にすべての政策権限を委ねた覚えはない。国民は政治家(官僚も)と政策のチェックを常に行う権利と義務があるはずだ。ところが、権力者はこれを封殺しようとする、「法律によれば云々...」、「合法的手段で云々...」、「行政は政治的に中立でなければ云々...」。また、したり顔の評論家や法律家は誰かの言葉を流用して「悪法も法なり...」などという。これはとんでもない権力サイドのデマゴーギーだ。社会の安定などと口にするがそんなこととは関係ない、きわめて反民主主義的な言動にほかならない。

代議制と直接行動は民主主義の両輪のはずだ。これを肝に銘じなければならないと思う。




どうして、わすれられようか。 畑はおぼえている。--「ベン・シャーン第五福竜丸」より






















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