シリーズ「最後の一撃」(武田邦彦)

武田邦彦(中部大学)氏は、山下大将の遺訓を4つの遺訓毎に、氏のブログで最近記事を書いています。私は、実は彼を通して、「山下大将の遺訓」の驚きの内容を知らされたのであった。彼の「最期の一撃」と題するシリーズの4回分をここに転載します。

最期の一撃 第一話 山下大将の第一遺訓

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=RFUctPxKMKA


戦争に負けた翌年の昭和21年12月23日。シンガポール攻略戦とフィリピン守備戦で指揮を執った山下大将がアメリカ軍によってマニラで裁かれ絞首刑となった。その時に彼は「待てしばし勲のこしてゆきし友 あとなしたいて我もゆきなむ」と辞世の句を読んだ。

軍隊の指揮官たるもの自らの命令で国のために命を落とす戦友に早く会いたいという願いを持っている。それが指揮官というものだ。辞世の句を説明するとその価値は半減するが、山下大将は「いま少し待ってくれ。戦死した君のもとに私もすぐ行くから」と詠った。

軍事法廷で山下大将に課せられた罪は、おそらく戦争直後に姿をくらまし、ほとぼりがさめた頃に出てきた辻政信に責をとうべきものだっただろうが、それもまた戦争の一つのあやに過ぎない。戦争は個人の運命を飲み込んで一気に進んでいくものである。

辞世の句とともに残した山下大将の遺訓が四つある。その第一。戦争直後の日本の軍人の書いたものである。

「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。

この人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

諸君は、いま他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人といえども、この責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶことは許されないのであります。ここにおいてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」

1 自由なる世界においては誰でもが、
2 自らの意思、道徳的判断力、自己責任感を持ち、
3 責任回避と安易な方法を避けよ。

戦争前夜から大戦中、山下大将は日本政府、日本軍部、日本国民が自らの強固な意志、道徳的判断力、自己責任感を失い、付和雷同し、責任回避をして安易な方法を選択してきたことを、敗戦直前に正確に指摘している。

ところで戦前のことが語られるとき、「日本の軍部の暴走」とよく言われるが、軍部も一体ではなかった。細かい細工をして自分の仲間の利益だけを優先したグループと、山下大将のように細工をせず、政府の命令に従い、事実を優先するグループがあった。

歴史は皮肉なものだが、細かい細工をする人たちの行動は表面から見ると実にまともに見えるので多くの人の賛同を得る。これに対して愚直に誠実に任務を果たした人たちはまるで罪人のようになる。

世に言う関東軍の暴走、ノモンハン事変シンガポール攻略に伴う華僑の虐殺、パターン死の行軍、ガダルカナルの玉砕など、日本軍の汚点とされるものは「細工をするグループ」の主導によるものだが、「細工をする」という自体が「表面を塗布する」ことであり、それを潔しとしない人は細工をしないが故に、その責任を一身に受けることになる。山下大将はそういう人だった。

私は貝になりたい」とはこの世の常でもある。

現在、かつての日本軍を批判する人が果たして山下大将のようなしっかりした倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っているだろうか? 人を批判するのは簡単だが、批判は事実の範囲内でなければならない。このあと、山下大将の第二遺訓を紹介していく。そこには現代社会でも驚愕の指摘があるのだ。

平成26年12月22日)

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最期の一撃 第二話 山下大将の第二遺訓

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=JXwv_Yt7vY8

山下大将は次に第二遺訓を残している。

「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとえ破れたりとはいえ、かくも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうということであります。

私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発、あるいは生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」

科学者としての私がこの遺訓の前段と後段を読むと胸迫ることがある。当時、戦闘はまだ肉弾戦が中心だったから、敵のトーチカに向かって突撃し、トーチカに辿りつた兵士が手榴弾をトーチカの中に投げ込めれば友軍の勝ち、それまでに小隊が全滅したらこちらの負けというようなことだった。

だから、シンガポール要塞を落とすときに多くの日本兵が命を落とした。その一人一人には、「平和の光輝く祖国」へ帰ることができたのだという思いが山下大将にあった。軍隊は「戦争するため」にあるのではなく、「平和を保つ」ために存在するのだから、山下大将が「平和の光輝く祖国」と表現したのはよく理解できる。

後段はさらに私の心を揺さぶる。

大東亜戦争、太平洋戦争は資源を豊富に持っていて、世界に植民地を有しているイギリス、フランス、オランダ、アメリカが日本の資源輸入を止めたことによって始まった。もし科学技術が発達していて、日本が独自に資源を獲得し、豊かな生活を国民に保証できれば、日本軍はシンガポールを攻撃しなくてもよかった。

しかし、科学技術者はそこまで行くことができず、禁輸によって困窮した日本は軍隊で石油やゴム、スズなどを東南アジアから調達せざるを得なくなった。現在では「必需品の禁輸」は戦闘行為と同じとされているが、当時は「直接に軍隊を派遣しなければ開戦とはみなさない」という概念であって、今でも反日日本人は禁輸の意味を知って知らぬふりをしている。

山下大将が麾下の兵士を失いつつシンガポールを攻めていたとき、「ああ、もう少し日本の技術が進んでいたら、兵士を死なせなくても良いのに、またここまで進軍する必要もなかったのに」と苦しい心中だったと推測される。

山下大将の第一遺訓にもあるように、国が栄えるかどうかはそこにいるひとりひとりの道徳的判断力による。マレー半島を制圧した日本軍に対して中国華僑が妨害工作を続けたのに対して、辻政信のような道徳的判断力に乏しい将校が短期的視野から殺害を主張したのに手を焼いたのも、「道徳的判断力」に他ならない。

いま、やや日本の科学技術は山下大将の希望にそった状態にある。自動車、家電製品、電子製品、建築技術などは世界有数または世界一になっている。また資源も石油や石炭、鉄鋼石などの粗原料の鉱山は日本にないが、「世界トップレベルの資源技術」を有していて、世界の資源国は日本の技術がなければ資源を掘り出すことや、優れた鉄板を作ることができない。

資源があるかどうかはその国の土地の構造によるが、資源を獲得できるかは資源技術の勝負になってきた。石炭の山を持っていても、かつてはツルハシと人夫があれば良かったが、今は世界最優秀の石炭掘削機械を有さないと現実的に石炭を掘り続けることはできない(大赤字になる)。だから、山下大将が希望した「資源と豊かな生活を保証する日本の科学技術」はかなりのレベルで現実になったと言える。

ご安心ください。私たちのご先祖が命を捧げて守った日本を私たちも全力で守ろうと思っています。

平成26年12月23日)

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最期の一撃 第三話 山下大将の第三遺訓


https://www.youtube.com/watch?v=0y4IWDnrrsY&feature=player_embedded

フィリピン戦を終り、敗北して囚われ、絞首刑になる前に山下大将が記した第三遺訓ほど、驚くものはない。それは日本の女性に当てたものであった。

「従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。

皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。

平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。

皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。」

「従順と貞節・・・日本婦人の最高道徳」

「日本軍人と同じ・・・男女同じ」

「従順と貞節・・・虚勢された徳・・・自己主張しない人」

「貞女も忠勇なる軍人・・・自由と自律性を持たない」

家長制度のもとの古い日本、でも山下大将のこの文章は現代でも最先端を行く認識だ。貞節も大事だけれど、それを有効にするためには自由と自律性であると記した。

女性に求められるのは、高い教養、自ら行動しうる人とし、平和の原動力は婦人の心にあるから、自由に協力して平和を維持してもらいたいと結ぶ。

女性と男性はもともと対立するものではない。女性の特性、男性の特徴をそれぞれが発揮して国や人類を発展させる・・・それには高い教養と自由が必要で、従順とか貞節という言葉のなかに含まれる虚勢された徳の方に行かないこと・・・それはまさしく現代でも日本の女性の多くがまだ達成できないことである。

「女は大学に行く必要がない」と言った男性は、山下大将がこの世を去って50年以上も存在した。「女は子供を産む機械だ」と21世紀になって国会議員が発言した。男性側からの女性蔑視だけではない。女性の方も平和な天下国家、日本の未来(子供の将来)を考えるより、今日のグルメ、テレビのタレントのゴシップに明け暮れているように私には感じられる。

山下大将が妻に当てた辞世の句。

「満ちて欠け晴れと曇りにかわれどもとわに冴え澄む大空の月」

人生にはいろいろある。良かったり悪かったりするけれど、私は満足してこの世を去る。今日もいつもと変わらない月が美しく夜空に輝いている。さようなら・・・

平成26年12月23日)

                                                • -

最期の一撃 第四話 山下大将の第四遺訓


https://www.youtube.com/watch?v=Kn_AijlSfPc&feature=player_embedded

「私のいう教育は幼稚園、あるいは小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時をもって始められなければならないのであります。

愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時、何者も味うことの出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わるものは無いのであります。

母は子供の生命を保持することを考えるだけでは十分ではないのであります。

子供が大人となった時、自己の生命を保持し、あらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し、人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

………これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」

妊娠した女性は臨月を迎えると徐々に体内時計が変化し、授乳時間に合わせて眠りが浅くなる。平均して2、3時間ごとに授乳が必要な赤ちゃんが泣いて乳房を欲しがった時に起きるためだ。夫にはそんな変化はない。男女が等しく国を支えるのは当然だが、男女が「同じことをする」のは男女共同参画ではない。

赤ちゃんはお母さんが好きだが、お父さんにはゴマをする。それは人間が動物時代、「父親の子殺し」を体験し、それが遺伝子にあるからだ。夫婦と子供ふたりのネズミの家庭で、子供を他人の子供を入れ替えるとメスは気がつくが、オスは気がつかない。

次にメス(お母さん)を入れ替えると、オス(父親)は直ちに子供を殺す。オスはじぶんの子供を見分けることができず、メスが自分の連れ合いだった場合に、その横にいる子供は自分の子供と認識できるだけだ。

だから、新生児、乳幼児を母親から離すのは子供にとって不安な環境を与えることになる。最近、いかにして子育てをサボるかという視点から(それが「生活のため」というお金の場合が多いが)、男性が育児を担当することがあるが、慎重にしなければならない。山下大将が指摘しているように、子供こそ次世代の日本の宝であり、授乳を基本とする子育てで母親の果たす役割は大きい。

戦場では母親があれほど懸命に育てた子供の命を奪う命令をくだす。その度ごとに山下大将はその兵士の母親の顔を思い浮かべたに相違ない。でもそんなことは平和日本では二度としてはいけない。そして母親の任務はただ子供を育てるだけではなく、その子供が「大人となった時、自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成する」のは母親の役目である、母親しかできないのだと彼は思ったのだった。

マレーの虎と呼ばれ、勇猛果敢な陸軍大将として名を馳せた山下大将の胸中には、道徳的判断力、軍隊のいらない技術力、貞節で自律的な女性、そして無限の愛で優れた子供を育てる母親、それこそが戦争で傷んだ日本を立て直す大切なことして浮かんだ。

現代の日本は一時、山下大将の遺訓通りに進んだが、途中で愚劣な輩に掻き回され、また逆の道を歩いていこうとしているように見える。白人と苦闘した日本、やむを得ない戦争で多くの犠牲を出した日本、その渦中にあって「正しい人、山下奉文」の遺訓は日本の宝である。

平成26年12月23日)



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