警察権限の拡大とファシズムの足音

日本社会を確実に萎縮させるものは、警察・検察権力の肥大化だと、言い切ることができる。マスコミも、特に日本の御用マスコミは、警察・検察には批判の矛先を向けることができない。この権力は一度肥大化すると、国民はもとより、立法を司るはずの政治家も手を出せなくなるのだ。そこが怖い。

民主主義の健全な状態とは、国民の政治的覚悟に全てがかかっているのだが、その覚悟を圧殺するのは警察権力であり、御用マスコミがそれに追従してしまうことにある。戦前、日本社会がファッショ的空気に包まれ、戦争を回避できなかったのは、実は軍部の暴走などではなく、特高警察と新聞が虚構の『空気」を作り出し、誰もそれを押しとどめることができなかったことに由来している。警察権力の増長は、このように、実に怖い許しがたいことなのだ。

軍隊は、特に戦後の自衛隊は、外国の侵略に対して戦うという原則が確立している。しかし、警察は誰に対して戦うのかが、実に曖昧なのだ。『社会の悪に対して』とか、『国民の安心・安全のため』とか言うが、その言葉にはリアリティーというものが全く無い。近年の警察モノのTVドラマを見ればわかると思うが、警察という組織防衛が自己目的であり、国民生活云々は警察のお題目にすぎない。その点は、政府官僚と全く同じと言って良い。

比較の問題ではあるが、日本のような安全な国では、日常的に、市民が警察に身の安全を頼りにしなければならないようなことは、実はそう多くない。もしもの時のためには、自主防衛の準備をしておくべきだ。それは、地震などの自然災害に対して、各自が準備をしておくことと大差はないはずである。『自分の身は自分で守る』という前提を失ってしまうと、市民は自立しないし、健全な民主主義の基盤を失う。つまり、『空気』に左右される市民が数を増すことになり、それは結局ファシズムの足音を聞く事態を招くのである。

近年の日本では、このようなファシズムの足音を打ち消す力量をすでに失っているかのように見えてしまう。由々しき事態である。

田中龍作ジャーナル 2016年5月20日
舛添叩きの裏で進む 逮捕されたら「ハイそれまでよ」


 マスコミが舛添叩きに血道をあげる裏で、ファシズムに向けた動きがまたひとつあった。
 通信傍受(盗聴)法と刑事訴訟法(取り調べ可視化)の改悪法案が参院を通過したのである。衆院に送られて来週にも成立する見通し。
 通信傍受法の改悪により捜査機関による「合法的盗聴」が拡大する。これまでも警察は盗聴し放題だった。
 だが法廷に証拠として提出できる犯罪は4種類(薬物、銃器、組織的殺人、集団密航)に限られていた。
 法改悪により新たに9種類の盗聴が可能になり証拠となる。9種類とは窃盗、詐欺、殺人、傷害、放火、誘拐、監禁、爆発物、児童ポルノ


日弁連に抗議の声があがった。「人権の砦」であるはずの日本弁護士会館の前で抗議集会が開かれること自体珍しい。=16日、霞が関 撮影:集会参加者=

 刑訴法改悪は捜査当局のキモイリだ。「マスコミは全過程の可視化」と表記しているが、現実は違う。
 法廷に出てくるのは警察、検察にとって都合のよい部分だけ。その映像と音声を視聴した裁判員は「やっぱり被告はクロだったのか」と思うようになるだろう。
 冤罪の温床となるのは火を見るより明らかである。誰もが逮捕され確実に有罪となる社会が訪れようとしている。
 怖いのは弁護士会が権力に取り込まれたことである。17日、日本弁護士会館で開かれた集会では司会役の弁護士が「刑訴法改悪を日弁連の執行部が推進しようとしている。執行部への糾弾集会としたい」。
 前日には同会館前で市民団体が、日弁連への抗議集会を開いた。
 法律を駆使して権力から市民を守ってくれる― 人権の砦だった弁護士が、そうではなくなろうとしているようだ。
 刑事訴訟が戦前戦中の暗黒時代に戻ろうとしている。
  〜終わり〜


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