興味深いアイヌ昔話
はじめに
久しぶりに、記事を書きます。ここのところ、アイヌ関連の文献を暇に任せてよく読みます。アイヌ民話には特に、興味を持っています。それは一言で言えば、先住民と、場合によっては征服者ともなる渡来人とのせめぎあい、あるいは協力関係などがうまく反映しているからです。
かつて、南米アンデス地域とアマゾン地域の神話・民話を収集して読み漁りました。それらとアイヌ神話・民話を比較対照することも興味の大きな部分を占めています。
以下に紹介するアイヌ民話は、ちょっとそれとは異なる視点から興味をそそるものです。紹介する民話は、もちろん近現代のアイヌ民話です。しかしその物語世界には、アイヌ民族のオリジナリティとその後の歴史的変容が描きこまれているようです。その点を箇条書きで記しておくと、
縄文人としてのアイヌ民族
本土のエミシとアイヌとの文化的社会的交流
擦文時代以降の、交易民へのアイヌの変貌と発展
様々な渡来人とのせめぎ合いを経過しても、オリジナリティが強固に保守されていること
などです。
物知り老人
わたしは、にいかっぷ川(日高地方の静内川と沙流川の間を流れる河川)の中ほどに暮らしているひとりの女です。
夫はたいへん狩りの上手な人で、いつもたくさんの鹿や熊をとっているので、わたしは何を欲しいとも、何を食べたいとも思ったことがありません。たったひとつ寂しことは、夫婦のあいだに子どもがいないことだけでした。ひとりでいいから子どもがうまれないかなあ、と思っていましたが、生まれそうにありません。そこでわたしは夫に、ポンマッ(第二夫人)をもらってくるように、何度も何度もたので見ました。ポンマッがきて子どもを産んでくれれば、その子どもをかわいがることができるだけでも幸せだと私は思ったのです。
夫は、
「ポンマッをもらうのはいいけれど、おまえに心配をかけることにならにだろうか」
といって、承知してくれません。わたしは夫に、そんな心配はないと泣いて頼みました。あまり熱心に頼むので根負けした夫は、それならおまえがいうようにしようといってくれました。そこでわたしは、前々からうわさに聞いていた隣村の、尊重のふたりのむすめのうち、妹のほうをまらってくるように夫にいうと、夫は隣村に出かけて、うわさに聞いていた妹むすめを、その父や母にお願いして、ポンマッとしてもらってきました。わたしはすっかりうれしくなり、泣いてよろこびながら、そのむすめ、夫のポンマッを迎えました。そのむすめは働き者で、薪を集めることから水汲みまで、わたしが手をふれることは何ひとつないほど働きます。ポンマッをアトゥシヒ(わたしの綱))とも呼びます。
夫はポンマッを連れてきても、別に家を建てようともせず、またいっしょに寝ようともしません。そこでまたわたしはやかましくいって、ポンマッの家を隣に建てさせました。隣に泊まりに行こうともしない夫を、夜になると外へおし出すようにして行かせ、何回か行ったりきたりしているうちに、を足しのところよりも、隣の家に多く泊まるようになりました。仮の上手な夫は,前にも増して鹿や熊をとってくるし、わたしどもも仲良く暮らしているうちに、アトゥシヒがわたしが望んだとおりにおなかが大きくなったようすです。
■
秋が近くなったある日のこと、夫が言いました。
「冬になる前に、たくさんある毛皮を持ってウイマム(交易)に行ってくる。留守の間は、春から養っている(子熊)や、まもなく赤子がうまれるまたしのポンマッをたいせつにして、わたしの帰りを待っていてくれ」
夫はそういって、夫が持っているうちでいちばん大きい丸木舟に、毛皮をたくさん積みこんで川を下っていきました。夫がいないあいだは、お腹の大きいアトゥシヒをわたしの家へつれてきて、わたしのそば近くに寝かせて、だいじに見守っていました。仕事はあまりさせないで、なるべくわたしひとりで薪などを撮りに山へ行くようにしていました。
夫が留守になってから、アトゥシヒに変わったことはありませんでしたが、檻に入れて育てている子熊が、毎晩毎晩「ふぇーっ、ふぇーっ」と鳴き騒ぐのです。腹をすかせているわけでもないのに、腹ぺこのときと同じような声を出してさわぐのです。うるさくてうるさくて、ふたりは夜も眠れないくらいでした。
ある夜のこと、いつものように子熊が、檻をこわさんばかりにゆさぶって鳴きわめきました。いつのまにアトゥシヒが外に出たのか、がたがたふるえながら家の中に飛び込んできて、
「たいへんだ。檻の中にいるのはくまではなく化け物だ」
というのです。わたしは、音のしないようにそっと外に出て、月明かりにすかして見ると、おどろいたことに、檻の中にいるのは熊ではなく、エラシラシケポンヘカチ(河童ーミントゥチ)でした。ミントゥチはあおむけになって手足をばたつかせながら、熊の声で鳴きわめいているのです。夫は、河童がくまに化けているとも知らずに,ほんものの子熊だと思って、いままで大事に育てていたのです。夫は、そんなこととは知らずにウイマムに出かけて行きき、化け物熊は、夫の姿が見えなくなり、女だけになったことを知って、わたしたちを取り殺そうとしたらしいのです。こんなときにどうしたらいいのかさっぱりわかりません。ふと思い出したのは、このにいかっぷ川の川尻(河口)に暮らしている、物知りの老人夫婦のことでした。そこでわたしは、女の耳に口をつけて、そっとささやきました。
「これからわたしは川尻の老人のところへ行って、化け物の退治のしかたを聞いてくる。それまで、家の中の戸をしっかり閉めて、音をたてないようにわたしの帰りを待ちなさい」
というと、女はわたしの袖を両手でつかんで、
「いっしょに連れて行ってくれ。ひとりでいるのは恐ろしい」
と、がたがたふるえながらいうのです。真っ暗な夜のこと、おなかの大きい者は足手まといになると思い、
「夜が明けないうちに必ずもどってくる」
と、わたしは化け物に聞こえないように、小声で言い聞かせました。ようやくのことで女は納得し、待っているというのでわたしはそっと家を出ました。足音を立てないように川縁へ出て、いちばん軽い丸木舟をそっと押し出し、すいっと流れに任せて川を下りはじめました。少し下ってから、かいを手に持ち、力いっぱい漕ぐと、舟は屋のような速さで走りました。寝るのが早い家は寝るが、寝るのがおそい家はまだネないと思う」時間に、私は目指す老人の家に付きました。老人たちはまだ起きていて、こんなにおそくどうしたのかと、心配そうな顔で迎えてくれました。わたしは夫がウイマムに行って留守のあいだのできごとを、老人にくわしく話して聞かせました。そして、どうして化け物を退治したらいいか教えてほしいと頼みました。
レッキサラ(もみあげ)を指先でかきながら聞いていた老人は、ゆっくりと口を開きました。
「いまからすぐにもどって、鳴きわめいている化け物に腹いっぱいものを食わせて、化け物が眠ったら、檻のまわりに、おまえたちふたりのラウンクッ、女の守りひもをつなぎ合わせて巻くがよい。あとのことは夜明けを待って、わたしども夫婦が行ってみよう。」
といってくれました。わたしは厚くお礼を言い、老人の家を出ると薄い月明かりを頼りに舟を漕ぎ、ようやくのことで家近くまでもどりました。水の音をたてないように静かに船着き場へ舟をつなぎ、そっと家に入りました。寝ないで待っていた女はわたしに飛びついてよろこびました。
■
あの化け物は、からだは河童なのに、声だけはまだ熊も声を出して鳴いていました。私は老人にいわれたとおり、食い物をたくさんこしらえて、わざと化け物熊に聞こえるように独り言を言いました。
「熊の神様は腹がすいているらしいので、夜だけど食べ物をあげよう」
そういいながらわたしが近づくと、あっというまに熊の姿に変わっているのです。檻から餌を入れを引っぱり出し、たくさんのえさをあたえました。腹がいっぱいになった化け熊は、檻の中で眠っています。わたしは女に、
「さあ早くラウンクッ、女の守りひもをほどいてわたしに貸して、老人にまじないの方法を教えられてきた」
というと、女はもじもじしています。ラウンクッは人目にふれさせてはならない女のはだ、貞操を守るためのひもで、夫以外の者は、絶対に手を触れることができないのです。わたしはわたし地震の守りひもをほどいてみせると、女も安心してほどいてわたしによこしした。二本のひもをつなぎ合わせて、老人に言われたとおりに、音のしないように檻のまわりに巻きつけました。ふたりはおそろしさのあまり、ふるえながら見ていると、熊の姿でえさを食っていた化物は、いつのまにか河童の姿になって眠っているのです。河童は夜明けとともに目を覚まし、檻の中であばれはじめました。いまにも檻がこわれそうです。檻がこわれたらどうしうようとおもっているところへ、昨夜訪ねた老人がきて檻に近づき、ひと言、ふた言、呪文を唱えると、河童は檻の中で苦しみはじめました。まるで目にみえないひもでぎりっ、ぎりっと首をしめられているようなようすです。すっかり夜が明けるころ、河童は檻の中で苦しみもだえ死んでしまいました。わたしどもふたりは、死んだ化物の河童を見て、「ああ助かった』と、手を取り合って喜びました。
老人は檻に巻いてあるわたしどものお守りひもをほどき、そのひもで河童の首をしばり、ずるずると引きずって女の便所のそばまで行きました。そして、ごみやぼろくずといっしょにキロ刻みましたが、河童の肉だけは生きていて、肉と肉は近づき、骨と骨が近づき合って、河童はなかなか死にきれないようすです。老人はなお呪文を唱えてごみやぼろくといっしょに切りきざむjと、とうとう小さい肉の切れ端まで動かなくなりました。
それを見て安心したかのように、老人は女便所の後ろの方に、悪い神を送る祭壇をつくりはじめました。はじめにチクペニ(えんじゅの木)でつくったイナウを三列、つぎに、ソコニ(にわとこ)でつくったイナウを三列、三番目に、アユンニ(たらんぽ)でつくったイナウを三列つくりました。おしまいにはスス(やなぎ)の枝で タクサ(清め用の柴の束)もつくり、祭壇ひとつごとにお祈りをしながら歩き、全部のイナウにお祈りをし終わったとき、一陣の風が舞い上がりました。その風に乗るように、切り刻まれた河童の肉と骨は、あっというまに見えなくなりました。
老人は、悪い化け物がほしがるイナウを知っており、そのイナウを作って河童にやったのです。河童はそれを持って飛んでいったのです。老人は、自分自身も清め草で身を清め、わたしどもふたりのからだも、ていねいにはら清めてくれました。そして、熊の檻、いや、化け物を養っていた檻のまわりをそうじしてから、はじめて家の中に入り、いっしょに食事をしました。
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そうこうしているうちに、ウイマムに行っていた夫が帰ってきました。いままでのできごとをくわしく話して聞かせると、夫はおどろきのあまり、からだから魂が飛び出さないように、口と鼻をおさえておどろきました。
夫は老人にたくさんのお礼をしたばかりでなく、わたしどもの家の近くに老人夫婦の家を建てて呼び、死ぬまでめんどうをみることにしたのです。夫がいうには、
「山で親もなくさまよい歩いていた子熊であったが、むかしから、ウヌサッペウレプソモアレスプネ(親のない子熊はそだてるものではない)という。やっぱりウエンカムイシネレプ(化け物)であったか。あのイシタッコロクル(物知り老人)がいなかったら、二人の妻がいっしょに殺されるところだった」
と、泣いて喜びました。あの女、アトゥシヒも無事に子どもを生み、わたしはわたし自身の子どものように育て、お乳を飲みとこだけ母親の手にふれるという具合でした。
たいしてたまげるような話ではないけれども、わたしは若いときに恐ろしいめにあい、危ないところを老人に教えられて、アイヌの女のお守りひも、ラウンクッで助かったのです。
「だからいまいる女よ、ラウンクッは、ときによってはどんな化物でも殺す力が備わっているものだから、肌身離さず身につけているものだよ」
と、ひとりの女が語りました。