ラサとククノール(青海湖)にまつわる伝説

現在中華人民共和国と呼ばれる支那の西域の話しである。西域には大きな砂漠が2つあり、モンゴルに近いゴビ砂漠、さらにその西の中央アジアにあるタクラマカン砂漠である。その中間地帯はあまり馴染みがないかもしれないが、モンゴルとチベットをつなぐ高原地帯であり、東方の支那に流れ下っていく大河の源流域に当たっている。

この地帯は、アジアの2つの主要仏教国モンゴルとチベットを南北に結ぶ線上に有り、ラマと呼ばれる仏教巡礼者の旅ルートにあたると同時に、ラクダ、ラバならびにヤク、羊を連ねた隊商キャラバンの行き交う地帯であった(現在は「西蔵鉄道」が敷設されている)。その中間地点にククノール青海湖)とよばれる大きな塩水湖がある。この地帯の生活者の多くはモンゴル人、チベット人であり、回人(トルコ系)ならびに漢人は、武力・経済力を度外視すれば、どちらかといえば少数派であった(現在はどうであろうか、定かではないが、大きくは変化していないはずだ)。

すでに紹介した西川一三氏の潜行の旅はこのコースに沿ったものであった。以下に紹介する物語も同氏の本からとったものである。『伝説』らしい物語の展開で、興味深い。1100年代日本で成立した『今昔物語」の震旦(支那)部に、この伝説が収録されていてもおかしくないと思うのだが、まだ調べていない。

- 青海湖の伝説
またこの島(青海湖の中に浮かぶ島、海心山)には有名なひとつの伝説が有り、その夜、話好きなソナムが、いつものように茶を飲んでは嗅ぎ煙草を吸いながら語ってくれた。

1
その昔、チベットの王の一人が仏陀の栄光をひろめるために、ラサのキチュー平原に壮大な寺を建立しようと思いつき、地を選んで仕事を始めるよう命じた。数千の人びとが狩り出され、膨大な費用が投ぜられて、まさに寺院が完成しようとしたとき、突然その建物は崩れてしまったのである。が、なにびとも、その災害の原因には気づかなかった。そこで翌年、再び新しく準備を整え建てはじめたが、ちょうど竣工したとき、寺はまた崩れてしまい、三度目も同じ結果画繰り返されただけだった。

人びとは、これはなにか祟っているのだと、不安と絶望につき落とされてしまい、寺院の建立放棄の声が起こりはじめた。驚き怖れた王は、名高い預言者に相談した。預言者が答えて言うには、「東方の遠い国に、どんな秘密でも知っているひとりの聖者がいる」と告げた。

間もなく王のもとから、ひとりのラマが預言者のいう聖者を探し出す使命を帯びて旅立った。派遣されたラマはチベット東方のあらゆる地域を跋渉、寺という寺のラマ、いやしくも徳と智に優れた者のあることを聞けば、必ず訪ねて彼らが建立しようとしている寺院について話したが、預言者の示したような聖者は、どこにも見出すことはできず、またなにびともその原因のわかる者はなく、まったく徒労に終わってしまったのである。

2
落胆した彼は遂に帰国を決意し、チベットとシナとの境に横たえあっているこの青海の草原を通りかかったとき、乗っていた馬の腹帯のヘレー(蒙古語で腹帯につかう留め皮)が切れたので、それを繕うためにほど遠くないところに見えている荒れ果てた蒙古人の包(パオ)へ立ち寄った。パオ前の杭に馬を繋いで中に入ると、ひとりの盲目の老人が熱心に読経している最中であった。読経が終わると盲目の老人は、快く迎えてくれた。互いに挨拶がすむと老人は、
「あなたの言葉の調子では、私達一族の者ではないようですが、どこの国の方ですか?」
と聞いた。チベットのラマは、
「私は東の国の貧しい蒙古ラマです。各ラマ廟を訪ねては活仏の前にひれ伏し、巡礼の旅を続けていましたところ、たまたまこの先で乗っていた馬のヘレーが切れてしまいましたので、それをなおすのに立ち寄ったところです」
「それは大変お困りのことでしょう。あいにく私は見られる通りの盲目で、あなたの修繕を助けることができません。しかし、天幕の周りを探して御覧なさい、ヘレーがあるでしょう。あなたに一番よく適ったのをお使いください」
と言われたチベットのラマが、ヘレーを選んで鞍の腹帯を修理しているとき、老人はなにげなくつぶやいた。
「東の国のラマよ。私達東の国の者はしあわせじゃ。ここには西のチベットの国にないような立派なラマ廟が沢山あり、チベットへもこれにおとらないのを建てようと騒いでいるが、いくら彼らが骨を折っても、だめなのじゃ。彼らが選んだ場所は、地下に湖があって、その水が地盤を揺るがしているのだから。だが、それを彼らは誰も知らぬのじゃよ。」と。

ちょっと周囲に聞き耳をたて、老人はまた話を続けた。
「わしはあんたが東の国のラマだから、こんな話をしたのだが、この秘密は決して他人に話してはならないよ。もしチベットのラマにこのことが知れたなら、彼らが寺を建てている地下の湖水は、たちまちここに押し寄せてきて、私達をひと呑みにするだろう」
この老人の言葉を聞くとチベットのラマは、
「老人よ、早くここを立ち退きなさい。水が押し寄せてくるでしょう。実は私は西のチベットのラマですから」と盲目の老人を誘いながら外に出た彼は、すばやく馬に飛び乗り、草原の彼方へ消え去ってしまった。

3
この彼のことばは老人を絶望と恐怖のどん底に突き落とし、しばらく呆然としていたが、やがて彼は大声で助けを求めた。この極度の悲しみの最中に彼の息子が、家畜の群れを追って帰ってきた。それを知ると老人はあわてて息子に叫んだ。
「倅よ、直ちにお前の馬に鞍をつけ刀を取って西に走れ、ひとりのチベットのラマに追いつくだろう。そして”舌”を引き抜け。彼は俺達のヘレーを盗んだ悪い奴なのだ」

老人の考えではチベットラマの舌を引き抜き殺すことを命じたつもりでいた。しかし、ヘレーは蒙古語で鞍の腹帯の留め皮を意味すると共に「舌」の意味でもあり、そのため息子がラマに追いつくと老人のことばを誤解して「父が腹帯の留め皮を取り戻してこい、と命じた」とラマに告げた。ラマは鞍のヘレーをはずして息子にかえした。老人は息子が持ち帰ったのが馬の留め皮で、当のチベットラマはもはや遠くへ逃げてしまったことを知ると、
「これは神のお告げに違いない。今こそすべてが終わりだ。私たちは滅びねばならぬ」と叫んだ。

4
果たしてその夜、不可思議な地鳴りと共に、地下から激流が岩を噛むような巨大な響きが聞こえはじめ、大地が裂け、そこから地下水が猛烈な勢いで滔々とほとばしりでて、尽きることを知らず、見る見る大草原は水で蔽われ、多くの家畜の群れや一が死んでいった。その中には、うかつに口を滑らせ秘密を漏らした老人もいた。
数日たったが、水止むことを知らず刻々と増してゆき、人々は手を尽くす方法もなく、まったく不安と恐怖におちいり、ただ逃げまどうばかりだった。

そのとき、どこから訪れて来たともなく、ひとりの敬虔なラマが通りかかり、この惨憺たる光景を見て人畜の災難を憐れみ、付近にあった二抱えも三抱えもある大きな岩をやすやすと抱え上げ、水の中に入っていくと、水のほとばしりでている裂け目の穴の上に載せ、これを塞いでしまった。水の増すのはこれで終わったが、水に浸された平原はこの青海湖となって残り、どこから現れ、どこへ去っていったともしれないかのラマの運んだ救いの岩は、今、眼前に見えている海心山となったのである。

その後部落の人たちは、このような災難にあったのも神意に違いないと、この小島の上に廟を建立しラマをして諸々の神仏を祀り、神意を和らげているのである。もしあの経験なラマが通らなかったなら、青海はもちろんのことシナ全土は湖になってしまっただろうと今なお信じている。

5
一方、チベットでは青海の平原に不思議な地鳴りが起こったと同時に、寺を建立していたラサのキチュー平原にも恐ろしい地鳴りがして、人々は恐れおののいていたが、秘密を抱いてラサに帰り着いたラマから、盲目の老人の話をきき、やっと自分たちを驚かせた音は地下の湖水が青海に移っていく音だったことを知ったのである。

キチュー平原の地下に横たわっていた湖の膨大な水は、そこから滔々と地下を進んで青海に流れ青海湖の水となったため、キチュー平原は地下にあった湖の湖底となって、現在ラサがある盆地となった。地盤は固まり、民衆は一度放棄した寺の建設を再び一心不乱にはじめ、現在なおラサに立っている立派な廟を建立することができたのである。

このようにキチュー盆地は、その昔は湖底となっていたところで、現在も湖水が青海湖に流れ去ったという地下道の洞穴があり、穴は大きな岩で塞がれ、今なお毎年一度、ダライ・ラマ自身、この洞穴に向かって諸神仏を祀っている。もし神意をそこなうようなことがあったなら、この洞穴から水がほとばしりでて、ラサは再び湖水でおおわれてしまうのである、

とソナムが語ってくれた。

西川一三「秘境西域八年の潜行 上」(中公文庫)より


追 記
現在ラサにあるダライラマの宮殿、ポタラ宮は1700年代に長期の期間をかけて建設されたようだ。最初の宮殿建設は、それより1000年を逆上る600年代のことだといわれる。
当時、ソンツェンガルポと呼ばれる王がチベットに登場し、はじめてラサに都を定め、仏殿を中心とした宮殿を建造したと言われる。ここに示した伝説は、その当時の時代状況に沿って読み解かれるべきものである。


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今日のククノール青海湖)は、支那で一大観光地になっているようだ。鉄道も開通しているし、湖水には観光船も運行している。オートバイ、自転車等による旅行も盛んなようである。しかし、住民について言えば漢人は当然増えているだろうが、民族図は大きくは変わっていないはずだ。







クノール青海湖)の写真を見ると、チチカカ湖を想起する。両湖とも標高はほぼ同じで、面積も近い。ククノール青海湖)は面積5,694km2、チチカカ湖(Lago Grande部分)は面積7,130km2である。両地域の家畜のたたずまいもどことなく似ている。前者では写真にあるようにヤクであり、後者ではリャマとアルパカである。両者とも寒冷地のゆえに長毛種であり、目つきも限りなく穏やかである。



青蔵鉄道のルート

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