現代社会のパラダイムチェンジ

パラダイムシフトは、国際政治の面から見れば、すでに1990年代から、理想社会を目指すべきだった社会主義体制の崩壊から始まっていた。思想的土台が大転換したにも関わらず、人々の社会的潮流はなかなか方向転換の舵を切らなかっただけである。あれからもう20年になる。そろそろ土台も固まり、新たな次元に入ってしまっていることに人々は気づき、その事実が認知されるようになったといえよう。


その変化を僕なりにモデル化すると下図のようになる。ここでは、詳細なコメントは差し控え、幾つかの註記にとどめておこう。

■ 「左翼」「右翼」という対立軸は、その思想が寄って立つ実態が大きく揺らぎ、ほぼ消滅して久しい。ここで左翼とは、かつての反米・反ソの「新左翼」を指すのだが、この対立軸は現在はない。両陣営とも場所移動を余儀なくされているが、新たな対立軸の両極に分かれていったといえよう。

■ 新たな対立軸は「グローバリズム」VS「国家主義」であろう。
グローバリズムの定義は必ずしも確定していないが、平等主義とか民主主義の「大衆」社会の方向とは無縁であり、どちらかと言えば、大きくエリート至上主義に軸足をおいていて、新たな階級社会に人々を引きずり込もうとしている。
グローバリズムは、金融資本の特性と考えられがちであるが、資本主義に特有な特質とは限らない。かつて国際社会主義の中核を担ったコミンテルングローバリズムの本家である。これは現代も生き続けていると考えられる、中国を中心とした「上海機構」はその一つであろう。「中国とは何か?」への分析は、この国は常にダブルスタンダードを取っているので、一筋縄ではいかないのである。
いずれにせよ、経済人類学者のK.ポランニーの分類を借りれば、「形式主義」の行動パターンである。

■ 取り急ぎ、その反対方向には「国家主義」が立っているだろう。多くの人は民族主義というだろうが、かく表現してしまうと定義がボケてくる。どちらかと言えば、「一国主義」とか「愛郷心」と言った方が良く、ローカル性がつよく、大小・強弱とりあわせて分裂的である。K.ポランニーに従えば「実態主義」の方向である。
nationalismを『民族主義』とするのには反対である。民族主義とは一民族・主義なのであって、虚構であろうと何であろうと『一民族』でなければならないのである。その上に情緒的な愛国心を築こうとするのである。そこには大きな無理があるのである。今日では「一国主義」というほかない。
もちろん「民族」を言挙げすることは極めて重要であると考えている。一国の民族的多様性と人類史的・歴史的な対立や協調の積み重ねの事実を、冷静に学問的に掘り起こし認知シていくことは、愛国心を涵養するためにも極めて重要であると考える。このようなことから、私は「オリジナル構造主義」の潮流に与している。このことは詳細な説明が必要になると思う。いずれこれを取り上げて論じてみたい。

■ 対立軸は両極が単一な内容でなければならないということではないだろう。「形式主義」は、たしかに単一な内容のように見え、普遍性を持っているようにみえる。それに対して「実態主義」は複雑な内容を内包し、多様である。これが現代の対立軸を形成していると行ったほうが良い。




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