「おぎん」: 日本民族の精神的岩盤を描いた芥川作品

ここに紹介する芥川龍之介作「おぎん」は、江戸時代初期の長崎キリシタンの「転び」を扱った小品である。

近年、芥川の作品が英語による文学の世界で、注目されているという。そのいわれは、今一つ納得がいかないが、この傾向は決して悪いことではない。思うに、現代世界の中で日本社会と文化が、西欧文明に浸りきっていないその不思議さを知ろうという風潮が再び起こりつつ在ることが背景にあるのではないか。この問自身が、西欧中心主義と言おうかグローバリズムと言おうか、極めて傲慢なものでしかないのだが、こう問うメンタルが西欧人のみならずアジア人の中に広く存在していることが無視し得ないことなのである。

いずれにせよ、その問いにいくらかのヒントを提供し得るものとして、ここに紹介する「おぎん」は芥川作品の中でも格好のものであるかもしれない。

私のこの作品の分析は別の機会に譲る。

おぎん
芥川龍之介

元和か、寛永か、とにかく遠い昔である。
 天主のおん教を奉ずるものは、その頃でももう見つかり次第、火炙りや磔に遇わされていた。しかし迫害が烈しいだけに、「万事にかない給うおん主」も、その頃は一層この国の宗徒に、あらたかな御加護を加えられたらしい。長崎あたりの村々には、時々日の暮の光と一しょに、天使や聖徒の見舞う事があった。現にあのさん・じょあん・ばちすたさえ、一度などは浦上の宗徒みげる弥兵衛の水車小屋に、姿を現したと伝えられている。と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げるため、あるいは見慣れぬ黒人となり、あるいは舶来の草花となり、あるいは網代の乗物となり、しばしば同じ村々に出没した。夜昼さえ分たぬ土の牢に、みげる弥兵衛を苦しめた鼠も、実は悪魔の変化だったそうである。弥兵衛は元和八年の秋、十一人の宗徒と火炙りになった。――その元和か、寛永か、とにかく遠い昔である。

 やはり浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいた。おぎんの父母は大阪から、はるばる長崎へ流浪して来た。が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。勿論彼等他国ものは、天主のおん教を知るはずはない。彼等の信じたのは仏教である。禅か、法華か、それともまた浄土か、何にもせよ釈迦の教である。ある仏蘭西のジェスウイットによれば、天性奸智に富んだ釈迦は、支那各地を遊歴しながら、阿弥陀と称する仏の道を説いた。その後また日本の国へも、やはり同じ道を教に来た。釈迦の説いた教によれば、我々人間の霊魂(アニマ)は、その罪の軽重深浅に従い、あるいは小鳥となり、あるいは牛となり、あるいはまた樹木となるそうである。のみならず釈迦は生まれる時、彼の母を殺したと云う。釈迦の教の荒誕なのは勿論、釈迦の大悪もまた明白である(ジアン・クラッセ)。しかしおぎんの母親は、前にもちょいと書いた通り、そう云う真実を知るはずはない。彼等は息を引きとった後も、釈迦の教を信じている。寂しい墓原の松のかげに、末は「いんへるの」に堕ちるのも知らず、はかない極楽を夢見ている。

 しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。これは山里村居つきの農夫、憐みの深いじょあん孫七は、とうにこの童女の額へ、ばぷちずものおん水を注いだ上、まりやと云う名を与えていた。おぎんは釈迦が生まれた時、天と地とを指しながら、「天上天下唯我独尊」と獅子吼した事などは信じていない。その代りに、「深く御柔軟、深く御哀憐、勝れて甘くまします童女さんた・まりあ様」が、自然と身ごもった事を信じている。「十字架に懸り死し給い、石の御棺に納められ給い、」大地の底に埋められたぜすすが、三日の後よみ返った事を信じている。御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「おん主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を、もとの霊魂(アニマ)に併せてよみ返し給い、善人は天上の快楽を受け、また悪人は天狗と共に、地獄に堕ち」る事を信じている。殊に「御言葉の御聖徳により、ぱんと酒の色形は変らずといえども、その正体はおん主の御血肉となり変る」尊いさがらめんとを信じている。おぎんの心は両親のように、熱風に吹かれた沙漠ではない。素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。おぎんは両親を失った後、じょあん孫七の養女になった。孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。おぎんはこの夫婦と一しょに、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。勿論そう云う暮しの中にも、村人の目に立たない限りは、断食や祈祷も怠った事はない。おぎんは井戸端の無花果のかげに、大きい三日月を仰ぎながら、しばしば熱心に祈祷を凝らした。この垂れ髪の童女の祈祷は、こう云う簡単なものなのである。
「憐みのおん母、おん身におん礼をなし奉る。流人となれるえわの子供、おん身に叫びをなし奉る。あわれこの涙の谷に、柔軟のおん眼をめぐらさせ給え。あんめい。」

 するとある年のなたら(降誕祭(クリスマス))の夜、悪魔は何人かの役人と一しょに、突然孫七の家へはいって来た。孫七の家には大きな囲炉裡に「お伽の焚き物」の火が燃えさかっている。それから煤びた壁の上にも、今夜だけは十字架が祭ってある。最後に後ろの牛小屋へ行けば、ぜすす様の産湯のために、飼桶に水が湛えられている。役人は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。おぎんも同時に括り上げられた。しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。霊魂(アニマ)の助かりのためならば、いかなる責苦も覚悟である。おん主は必ず我等のために、御加護を賜わるのに違いない。第一なたらの夜に捕われたと云うのは、天寵の厚い証拠ではないか? 彼等は皆云い合せたように、こう確信していたのである。役人は彼等を縛めた後、代官の屋敷へ引き立てて行った。が、彼等はその途中も、暗夜の風に吹かれながら、御降誕の祈祷を誦しつづけた。
「べれんの国にお生まれなされたおん若君様、今はいずこにましますか? おん讃め尊め給え。」

 悪魔は彼等の捕われたのを見ると、手を拍って喜び笑った。しかし彼等のけなげなさまには、少からず腹を立てたらしい。悪魔は一人になった後、忌々しそうに唾をするが早いか、たちまち大きい石臼になった。そうしてごろごろ転がりながら闇の中に消え失せてしまった。

 じょあん孫七、じょあんなおすみ、まりやおぎんの三人は、土の牢に投げこまれた上、天主のおん教を捨てるように、いろいろの責苦に遇わされた。しかし水責や火責に遇っても、彼等の決心は動かなかった。たとい皮肉は爛れるにしても、はらいそ(天国)の門へはいるのは、もう一息の辛抱である。いや、天主の大恩を思えば、この暗い土の牢さえ、そのまま「はらいそ」の荘厳と変りはない。のみならず尊い天使や聖徒は、夢ともうつつともつかない中に、しばしば彼等を慰めに来た。殊にそういう幸福は、一番おぎんに恵まれたらしい。おぎんはさん・じょあん・ばちすたが、大きい両手のひらに、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。また大天使がぶりえるが、白い翼を畳んだまま、美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。

 代官は天主のおん教は勿論、釈迦の教も知らなかったから、なぜ彼等が剛情を張るのかさっぱり理解が出来なかった。時には三人が三人とも、気違いではないかと思う事もあった。しかし気違いでもない事がわかると、今度は大蛇とか一角獣とか、とにかく人倫には縁のない動物のような気がし出した。そう云う動物を生かして置いては、今日の法律に違うばかりか、一国の安危にも関る訣である。そこで代官は一月ばかり、土の牢に彼等を入れて置いた後、とうとう三人とも焼き殺す事にした。(実を云えばこの代官も、世間一般の人々のように、一国の安危に関るかどうか、そんな事はほとんど考えなかった。これは第一に法律があり、第二に人民の道徳があり、わざわざ考えて見ないでも、格別不自由はしなかったからである。)

 じょあん孫七を始め三人の宗徒は、村はずれの刑場へ引かれる途中も、恐れる気色は見えなかった。刑場はちょうど墓原に隣った、石ころの多い空き地である。彼等はそこへ到着すると、一々罪状を読み聞かされた後、太い角柱に括りつけられた。それから右にじょあんなおすみ、中央にじょあん孫七、左にまりやおぎんと云う順に、刑場のまん中へ押し立てられた。おすみは連日の責苦のため、急に年をとったように見える。孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。おぎんも――おぎんは二人に比べると、まだしもふだんと変らなかった。が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。

 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。

 一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやると云った。しかし彼等は答えない。皆遠い空を見守ったまま、口もとには微笑さえ湛えている。

 役人は勿論見物すら、この数分の間くらいひっそりとなったためしはない。無数の眼はじっと瞬きもせず、三人の顔に注がれている。が、これは傷しさの余り、誰も息を呑んだのではない。見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。役人はまた処刑の手間どるのに、すっかり退屈し切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。

 すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉えた。
「わたしはおん教を捨てる事に致しました。」
 声の主はおぎんである。見物は一度に騒ぎ立った。が、一度どよめいた後、たちまちまた静かになってしまった。それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
「おぎん! お前は悪魔にたぶらかされたのか? もう一辛抱しさえすれば、おん主の御顔も拝めるのだぞ。」

 その言葉が終らない内に、おすみも遥かにおぎんの方へ、一生懸命な声をかけた。
「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ。」

 しかしおぎんは返事をしない。ただ眼は大勢の見物の向うの、天蓋のように枝を張った、墓原の松を眺めている。その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦すように命じた。
 じょあん孫七はそれを見るなり、あきらめたように眼をつぶった。
「万事にかない給うおん主、おん計らいに任せ奉る。」

 やっと縄を離れたおぎんは、茫然としばらく佇んでいた。が、孫七やおすみを見ると、急にその前へ跪きながら、何も云わずに涙を流した。孫七はやはり眼を閉じている。おすみも顔をそむけたまま、おぎんの方は見ようともしない。
「お父様、お母様、どうか勘忍して下さいまし。」

 おぎんはやっと口を開いた。
「わたしはおん教を捨てました。その訣はふと向うに見える、天蓋のような松の梢に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の底へ、御両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」

 おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へ、ほろほろ涙を落し出した。これからはらいそへはいろうとするのに、用もない歎きに耽っているのは、勿論宗徒のすべき事ではない。じょあん孫七は、苦々しそうに隣の妻を振り返りながら、癇高い声に叱りつけた。
「お前も悪魔に見入られたのか? 天主のおん教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てるが好い。おれは一人でも焼け死んで見せるぞ。」
「いえ、わたしもお供を致します。けれどもそれは――それは」

 おすみは涙を呑みこんでから、半ば叫ぶように言葉を投げた。
「けれどもそれははらいそへ参りたいからではございません。ただあなたの、――あなたのお供を致すのでございます。」

 孫七は長い間黙っていた。しかしその顔は蒼ざめたり、また血の色を漲らせたりした。と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔にたまり出した。孫七は今心の眼に、彼の霊魂(アニマ)を見ているのである。彼の霊魂(アニマ)を奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。もしその時足もとのおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。しかも涙に溢れた眼には、不思議な光を宿しながら、じっと彼を見守っている。この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心である。
「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、――みんな悪魔にさらわれましょう。」

 孫七はとうとう堕落した。

 この話は我国に多かった奉教人の受難の中でも、最も恥ずべき躓きとして、後代に伝えられた物語である。何でも彼等が三人ながら、おん教を捨てるとなった時には、天主の何たるかをわきまえない見物の老若男女さえも、ことごとく彼等を憎んだと云う。これは折角の火炙りも何も、見そこなった遺恨だったかも知れない。さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中刑場に飛んでいたと云う。これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。

(大正十一年八月)

1999年1月5日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



[English version]

Ogin

Akutagawa Ryunosuke


Was it in the Genna [1615-24] or Kan’ei era [1624-44]? This is a story of the
distant past, at a time when the upholders of the teachings of God, when discovered,
were crucified and burnt. As the government’s persecution became more severe, the
blessings of God seemed to have increased among the believers.

From time to time, angels and saints appeared in the shadows and dusky lights
of the villages around Nagasaki. At one time, even Saint Juan Bautista was said to
have appeared in the windmill hut of Miguel Yahei, a Christian believer of Uragami.
At the same time, devils, too, frequented the village believers to interfere with their
ascetic religious life, taking various forms like strange black men, imported plants
and flowers, and vehicles made of woven bamboo. Even the mice which annoyed
Miguel Yahei in the pitch-dark earthen jail, were said to be the devil incarnate.
Yahei, together with eleven other Christians, was burnt to death in the autumn of
the eighth year of the Genna era [1622]. The following story is from the time of
either Genna or Kan’ei.

A young girl, Ogin, lived in the mountain village of Uragami. Ogin’s parents had
died soon after they moved to the village from Osaka. Of course, being outsiders in
the village, Ogin’s parents had no knowledge of God’s teachings. What they believed
in was Buddhism; Zen, the Lotus Sutra, or the Pure Land — the teachings of
Shakyamuni Buddha. According to a French Jesuit, the clever genius Shakyamuni
wandered through China while preaching the teachings of a Buddha called Amida.
Eventually, he came to Japan and propagated the same doctrines. In his preaching,
our soul or anima, depending on the seriousness of our sins, will be reborn as birds,
cows, and plants. Above all, Shakyamuni had killed his mother at his birth. So his
teaching was as great as his sin was. However, as mentioned before, Ogin’s mother
had no way to know anything about these things. She [and her husband] believed in
Shakyamuni’s teachings even as they took their last breaths, and they were buried
under the shade of a pine tree in a bleak graveyard. Ignorant of their future fate to
fall into inferno [hell], they were still vainly dreaming of Amida’s paradise.

Fortunately, Ogin was not affected by her parents’ ignorance. Kind and
merciful Juan Magoshichi, a village peasant and a devout Christian, had already
sprinkled the water of baptism on Ogin’s forehead and given her the name Maria.
She did not believe in the story of Shaka, who said, after his birth, “I am the only
one above and below the heaven,” while pointing at the heaven and the earth.
Instead, she believed in the natural conception of “the most kind, and deeply
merciful Virgin Mary.”

She also believed in “Jesus who was crucified and buried deep under the great
earth in a stone casket and revived three days later.” As soon as the Trumpet for
Investigation is blown, “The Honorable Lord with his great power and prestige will
descend, and revive his people from their bodies of dust. Depending on their
original soul, some will enjoy pleasures in Heaven while others will go to Hell
together with the long-nosed tengu goblins.” She especially believed in the holy
sacrament which said, “Thanks to the Honorable Virtues of the Honorable Words.
Although the color and form of the bread and wine are unchangeable, their essence
will change into the Honorable Lord’s Flesh and Blood.” Differing from her
parents, whose minds were like a wild desert blasted by hot winds, Ogin had a mind
like a bountiful wheat field with native wild roses.

After having lost her parents, Ogin was adopted by Juan Magoshichi. His wife,
Juana Osumi, was a kind and gentle woman. With this couple, Ogin spent happy
days as she cared for the cows in the field and harvested the wheat. Of course during
such happy days she did not forget to fast and pray while remaining discreet. She
was devoted in her prayers as she gazed at the crescent moon in the shadow of the
fig tree by the village well. The prayer of this innocent girl was like this: “Oh,
Merciful Honorable Mother, I pay my respects to you. Eve, the child of the
wanderer, now calls on your honorable name. Please, with your gentle eyes, look at
and view my vale of tears. Amen.”

Then suddenly one night, Christmas Eve, a few government officers led by a
devil came into Magoshichi’s house where the fire of entertainment was burning in
the great hearth and a cross was hung on the sooty wall for the special occasion. In
the cow shed behind the house, the manger was prepared for the birth of Jesus.
Nodding to each other, the officers bound the three, Magoshichi, his wife, and
Ogin. But the three appeared calm as they resolved to endure any sufferings to save
their souls. The Honorable Lord would surely send them his help. Besides, wasn’t
being caught on the night of the nativity enough to show them the blessings? All
three were thus jointly convinced, even though they remained silent. After having
tied them, the officers drove them on foot to the magistrate’s mansion. On the way,
the three went into the blowing wind of dark night simply uttering the nativity
prayers. “Honorable Young Prince, born in the country of Beren (Bethlehem),
where are you? Please accept our respect and praise.”

Seeing that the three were caught, the devil rejoiced by clapping his hands.
However, he was quite angry at the resolution they showed. As soon as he was
alone, the disgusted devil spat, changed into a huge millstone which turned with the
sound gorogoro, and disappeared into the darkness. Juan Magoshichi, Juana Osumi,
and Maria Ogin were thrown into the earthen jail, tortured, and repeatedly pressed
to renounce the Honorable Teachings of their Lord. However, their faith was
unshaken, even in the tortures by fire and water. Even though their skin and flesh
were torn, they knew the gate to Heaven was only one step beyond the endurance
of torture. When they thought of their Master’s blessings for them, even the dark
earthen jail appeared as glorious as Heaven. Moreover, noble angels and saints often
came to console them. Ogin was especially blessed by such honorable visitations.
She once saw Saint Juan Bautista scooping up many grasshoppers in both hands to
offer her as food. Another time, the Archangel Gabriel, closing his white wings,
offered her water in a beautiful golden bowl.

Now the magistrate knew nothing of the Master’s teachings, nor those of
Shakyamuni Buddha. He simply could not understand why the three were so
obstinate. From time to time, he thought all three were insane. If they were not
crazy, they appeared to him to be like great serpents or one-horned beasts who were
beyond human morality. Keeping such monsters alive would be against
contemporary laws and jeopardize the security of the country. So the magistrate
finally decided to keep them in the earthen jail for a month and then burn them at
the stake. (Actually, the magistrate, like the general population, did not care if the
whole matter was related to the security of the country or not. First, there were
proper laws, and secondly there were morals. So there was no need to consider
security. Nothing should be allowed to cause any inconvenience).

The three believers in God showed no fear on the way to the execution ground,
which was located on the outskirts of the village, adjacent to the graveyard. After the
three arrived at the execution ground, their crimes were announced one by one.
The three were tied to large stakes erected in the center of the execution ground
with Juan Magoshichi in the middle, Juana Osumi to his right, and Maria Ogin to
his left. Due to the daily tortures, Osumi appeared much older and the unshaved
Magoshichi’s cheeks were bloodlessly pale. Ogin, in comparison, looked unchanged.
The three, standing on the piled firewood, still remained calm. A great many
spectators surrounded the execution ground. And in the sky above, five or six pine
trees spread their branches like canopies above the graveyard.


After all the preparations were finished, one of the officers came to the three, and
said in a grave tone that they should take some time to decide if they were to give up
or not the teachings of the Lord of Heaven. Moreover, if they rejected the teachings,
they would be immediately freed. However, the three did not respond, but gazed at
the distant sky, even with slight smiles on their lips. Silence prevailed for several
minutes among the officers and spectators. Innumerable unblinking eyes were
focused upon the faces of the three, but not out of sympathy. The spectators were
anxiously waiting the instant when the fire would be ignited. The officers were
completely bored by the tedious procedures for the execution and did not feel
like speaking.

Suddenly, they clearly heard unexpected words.
“I have decided to give up the Honorable Teachings.”
It was the voice of Ogin. Immediately, there was a roar among the spectators,
which soon subsided when the sad-looking Magoshichi spoke to his daughter
in a weak voice while turning his head, “Ogin! Are you fooled by the devil?
With a little more patience, you can see the face of your Lord!”
Before Magoshichi had finished, Osumi, too, spoke intensely to Ogin, “Ogin, oh, Ogin!
You are possessed by the devil. Pray, pray!”
Ogin did not reply, but simply gazed at the canopies of the pine trees
over the graveyard beyond the spectators.

One of the officers ordered that Ogin’s cords be loosened. Seeing this, Juan
Magoshichi closed his eyes, as if giving up everything, as he prayed, “Omnipotent
Lord, I will leave everything to your plan.” The freed Ogin stood for a while as if
stupefied. As she cast her glances at Magoshichi and Osumi, she knelt before them
and shed tears without a word. Magoshichi still had his eyes closed, and Osumi
avoided Ogin by turning her head away.

Finally, Ogin opened her mouth. “Oh, Father and Mother, please forgive me.”
She continued, “I have given up the Teachings. That was because I realized
something while watching the tips of the canopy-like pine trees. My deceased
parents buried under these trees were ignorant of the Teachings, and probably have
fallen now into the inferno. On the contrary, I might be going to paradise by
myself. How can I do that without my real parents? Therefore, I have decided to go
to hell to join my deceased parents. So, please, Father and Mother, go to the place
of Lord Jesus and Virgin Mary. Now that I have left the Teachings, I will not live
anymore ...” Ogin finished word by word and finally sank into sobs.

Now Juana Osumi began to shed tears on the firewood under her feet. Crying
or lamenting for useless things like Ogin’s situation was certainly not a proper deed
for a believer who was about to enter Heaven. With a bitter expression, Magoshichi
scolded his wife in a shrieking voice as he turned his head to her, “So you, too, are
fooled by the devil. If you wish to abandon the Teachings, do what you want. But I
will die alone.” Osumi, swallowing her tears, shouted out her words at her husband,
“No. I will come with you, but it is not because I want to go to heaven, I simply
want to follow you.”

For a long while, Magoshichi kept silent. His face appeared pale one moment
and animated the next. Simultaneously, perspiration spotted his face. Now
Magoshichi was watching his soul in his mind’s eye, intensely seeing there the
angels and devils who were fighting over him. If Ogin, who was sobbing under his
feet, did not raise her face at that instant — she had already lifted her face. Filled
with tears, her eyes containing strange lights were staring at him. What was lurking
under the sheen of her eyes was not only an innocent girl’s heart, but the heart of all
humans, “the child of the wandering Eve.”

“Father! Let’s go to the inferno! With me, Mother and my deceased parents are
over there! Let us allow the Devil to take us there!” Finally, Magoshichi was defeated.

This story, for generations, has been regarded as one of the most shameful
incidents in the history of the numerous martyrs of this country. When the three
defected from their faith, it was said that all the spectators, young and old, men and
women, who knew nothing of the Heavenly Lord, hated them. That may have been
because they were sorry to miss the execution at the stake. It was also said that the
overjoyed Devil turned into a big book and was flying around the execution ground
all night long. But I, the writer of this story, wonder if the Devil really had
accomplished much.

(1922)

Sources: Kirishitan Stories by Akutagawa Ryunosuke
Introduction and Translation by Yoshiko and Andrew DYKSTRA –(pdf) pp.53-56

                                                                      • -

追加(2018.04)
以下に引用する文章は、「カトリック東京大司教区ホームページ」http://tokyo.catholic.jp/archdiocese/library/message-okada/14508/
に収録されている東京教区アレルヤ会講話のものである。その中で、「おぎん」の解釈をめぐって現代カトリックから見た信仰の在り方を論じている。当講話は、今から十年近く前の2009年11月2日 東京カテドラル構内カトリックセンターで話されたようである。

 カトリック教会から見た「おぎん」

今日はあまり天候がよくありませんのに、お越し下さいましてありがとうございます。11月1日は、すべての聖人を記念する日です。その翌日が全ての死者を記念する日です。聖人というのは、教会の歴史ではまず殉教者です。信仰を証しした人が殉教者です。殉教というのは証しです。昨年には、ペトロ岐部と187人の殉教者が列福されました。福者といいます。神様のもとにいるので、幸いな人ということです。すべての死者は神様のもとに呼ばれております。そこで殉教した人とか、あるいは地上の生涯を以って神への信仰、イエス・キリストの救いを証しした人も、後に聖人と呼ばれるようになったわけです。昔は「証聖者」と言われました。証しは、証人の証ですね。
今日は江戸時代のキリシタンの話をしたいと思います。
それは「おぎん」という芥川龍之介の作品の一つです。おぎんという名の切支丹の少女の話です。浦上の山里村というところに住んでいました。おぎんの両親は幼い時に亡くなってしまったので、養女になりました。その養い親というのが、切支丹でありました。ジョアン孫七とそれからジョアンナおすみの夫婦です。おぎんも切支丹になりました。そして迫害の時代ですから、この夫婦ジョアン孫七とジョアンナおすみ、マリアおぎんは捕まってしまいます。拷問にあうのです。そして教えを捨てるように責めたてられますが、3人とも信仰を堅く守って決して信仰を捨てるとは言いませんでした。昔の文章ですが、次のように述べられています。
「年のなたら(降誕祭)の夜、悪魔は何人かの役人と一緒に突然孫七の家へ入ってきた。孫七の家には、大きな囲炉裡(いろり)に“お伽(とぎ)の焚き物(たきもの)”の火が燃え盛っている。それから煤(すす)びた壁の上にも、今夜だけは十字架(くるす)が祭ってある。最後に牛小屋に行けば、ぜすす様の産湯のために、飼桶に水が湛えられている。役人は互いに頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。おぎんも同時に括り上げられた。しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。霊魂(あにま)の助かりのためならば、いかなる責苦も覚悟である。おん主(あるじ)は、必ず我等のために、御加護を賜るのに違いない。第一なたらの夜に捕らわれたというのは、天寵の厚い証拠ではないか?彼等は皆言い合せたように、こう確信していたのである。役人は彼等を縛(いまし)めた後(のち)、代官の屋敷へ引き立てて行った。が、彼等はその途中も、暗夜の風に吹かれながら、御降誕の祈祷を誦(じゅ)し続けた。べれんの国にお生まれなされたおん若君様、今はいずこにましますか?おん讃(ほ)め尊(あが)め給え。」
そして代官の取り調べを受けましたが、ひるむところは全然ない。
「孫七はじめ三人の宗徒は、村はずれの刑場へ引かれる途中も、恐れる気色は見えなかった。刑場はちょうど墓原に隣った、石ころの多い空き地である。彼等はそこへ到達すると、いちいち罪状を読み聞かされた後、太い角柱に括りつけられた。」そして薪が積み上げられたんですね。「刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。そのまた見物の向こうの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。」お墓が見えるわけです。 「準備の終わった時、役人の一人は、物々しげに、三人の前へ進みよると、天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えてみろ、もしおん教を捨てると言えば、直ぐにも縄目は赦してやると言った。しかし彼等は答えない。皆遠い空を見守ったまま、口もとには微笑さえ湛えている。」
それで薪に火がつけられて火あぶりの刑という場面になるのです。原主水たちも火あぶりの刑になりましたね。しかし、火がつけられるというその時に、意外なことが起こったのです。「すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉えた。『わたしは恩教を捨てる事にいたしました。』声の主はおぎんである。見物は一度騒ぎ立った。が、一度どよめいた後、たちまちまた静かになってしまった。それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。『おぎん!お前は悪魔にたぶらかされたのか?もうひと辛抱しさえすれば、おん主の御顔も拝めるのだぞ。』そう言って引き留めるわけです。それからおすみの方は、こう言いました。『おぎん!お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ』でもおぎんは『私はやめます。』『お父様、お母様、どうか堪忍してくださいまし。』」
なぜこの期に及んで、もう天国にすぐにいけるそういう信仰を持っていたのに、教えを捨てたのでしょうか、その理由は何でしょうか?その理由が大変興味深いんですね。怖くなったからじゃないのです。あるいは教えが間違っていると思ったからじゃないのです。どちらでもないのです。では何でしょうか?その理由というのは、処刑される時にお墓が見えたのです。実の父と母のことを思ったのです。わたしのお父様お母様は今、いんへるの(地獄)へ堕ちている。わたしは、はらいそへ行ける。父と母をいんへるのに残しておいてわたしだけはらいそに行くのは申し訳ないという理由なんですね。「ご両親様は天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのにお堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今私一人はらいその門に入ったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の底へ、ご両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなさって下さいまし。その代わりおん教を捨てた上は、私も生きては居られません。」
自分だけ天国に行くわけにはいかないというのです。両親が地獄に堕ちているのに、自分だけ幸福になるわけにはいかないと。孫七とおすみも結果的に転んだとことになっております。
これは小説なので事実かどうかはわかりません。しかし、これに似た話があったのかもしれません。昔いろいろな小説を読んだのですが、芥川龍之介という人はキリスト教に大変関心がありました。聖書もよく読んだし、随筆も残しているようです。彼はどういう信仰を持ったのか、あるいは持たなかったのかはわかりませんが、まあ、日本の文化人・小説家など若い時にキリスト教に接した人が多いですね。たくさんいます。有島武郎とか、正宗白鳥とか・・・。正宗白鳥は、死ぬ時に信仰に立ち戻ったとどこかで読みました。
このおぎんの気持ちというのは、日本的というのか東洋的です。当時、洗礼を受けないで死んだ人、あるいはイエス様を知らないで死んだ人は、救われない。救われないということは地獄に堕ちる。というように信じられていました。必ずしもそうではないのです。昨日、五日市で追悼ミサを捧げて短い説教をしましたが、信者でない人の救いということに触れました。昔から血の洗礼ということも言いました。水の洗礼を受けなくても、殉教した人のことです。洗礼を望んでいた人も「望みの洗礼」と言いました。
キリスト教にもいろいろな教派があります。たとえば、カトリックというとわたしたちはとローマ・カトリックと思っていますが、カトリックといってもいろいろなカトリックがあり、いろいろな典礼があります。ラテン典礼、ローマ典礼だけではないのです。この間、わたしはフィリピンで会議に出たのですが、インドから参加した司教さんたちがいましたので、別な典礼、シリア典礼のミサに与りました。カトリックでないキリスト教会も、同じ神様を信じているユダヤ教イスラム教、それ以外の宗教もたくさんあるわけですし、日本にもたくさんの宗教団体がありますね。仏教系の新宗教もいろいろあります。それからはっきりと宗教を信じていると自覚のない人もいます。そういう人たちは死んだらどうなるのだろうかと、それから死んでしまったわたしたちの先祖たちはどうなのだろうかと当然思うわけです。だからこのおぎんも思ったのです。お父さんお母さんは全然教えを知らなかったから地獄に行っていると。
イエス・キリストの福音を聞かないで死んだ人はどうなるのだろうかという疑問に対して、第二バチカン公会議では、救いの可能性ということを言いました。キリスト教徒にならなくても救われるんだったら、なる必要がないんじゃないかという人も出てきてしまいそうですが、わたしたちは、自分の救いのためだけ、ただ救われたいためにキリスト教徒になったということではないと思います。
では何故わたしはキリスト教徒なのでしょうか?それを皆さんが自分で問わなければいけないのです。
先月、ここのカテドラルで子どものミサというのがありました。そのミサの中で劇があり、わたしはイエス・キリストの役で十字架にかかってくれということでした。担当司祭の神父さんは、「子どもたちは絶対忘れませんよ。一生覚えていますよ。」と言いました。
おぎんの話でも三人が磔になりますが、イエスとあと二人が磔になったわけで、右と左に犯罪人がいました(昔は犯罪人ではなく盗賊という訳だったと記憶しています)。一人はイエスを罵って言いました。「お前がもし救い主なら自分で自分を救え、そして俺たちも助けてくれ。」もう一人の方は「お前は何ていうことを言うんだ!私たちは当然の報いを受けている。この人は何も刑罰を受けるに値するようなことはしていない。どうかあなたが楽園に入ったらわたしのことを思い出して下さい。」
「どうかわたしのことを思い出して下さい」と、この一言を言っただけなのです。そうしたらイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。この「はっきり」の原文は「アーメン」という言葉です。「アーメン」は本来「確実だ、本当だ」という意味です。この犯罪人は最後の一秒で天国行き確実とされたのです。この盗賊の名前も伝説ではいろいろ伝わっていますが、列聖第一号ということになります。聖人の列に加えることを「列聖」といいますね。列聖された第一号が、このいわゆる善い盗賊と言われている人です。イエスが「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる。」と言ったのは、その盗賊が「わたしのことを思い出して下さい」と言ったからです。「思い出して下さい」これがないとだめなのです。もう一人は罵っているだけでした。この人はどうなったのかわかりません。
パウロは言っています。「神はすべての人が救われて真理を知るようになることを望んでいる。」すべての人が救われるのを望んでおられ、救われるということは真理を知ることと同じらしいです。「わたしは道、真理、命である」とイエスは言われました。「わたしによらなければ誰も父のもとに行くことはできない」とも言われました。イエスは真理そのものです。
神はすべての人が真理に到達し、救われることを望んでおられますが、強制はしません。人間の尊厳はそこにあるわけで、自分で判断し、自分で選択することができるのです。無理やりしたことは、その人が自分で選んだことになりません。神は人間を御自分に似せて創られました。神の呼びかけに答えることができるような存在に御創りになりました。すべての人は神様の問いに答える機会があります。それはいつなのでしょうか。
洗礼もその一つの時です。洗礼というのは、信じますか?信じます。と答える時です。幼児洗礼の人にも、後から「はい!」という場があります。思いますに、それから一番大切な時は、多分、地上を去る時です。その時にはいろんなことをやってはいられないわけです。何を持っていても持って行けないわけです。その時にイエス・キリストが現れるのではないかと、その人の霊魂が現れるのではないか、と思っています。この善い盗賊のように「わたしを思い出して下さい」と言う機会があるのではないか、と思うのです。
パウロまた「神と人との仲介者はただ1人イエス・キリストである」とも言っています。つまり、神はすべての人が救われることを望んでおられ、神と人の橋渡しをします。仲介する人はイエス・キリストただお1人です。いろんな聖人にも祈りますけれども、聖人だけではできないわけで、全部イエス・キリストという橋を通らないと神様のところに行けません。
ではキリストを知らない人は救われるのだろうか、とさっきのおぎんの話に戻るのですが、必ずキリストと出会う、あるいはキリストの霊の働きを受ける。ということが言えるわけです。
キリストの霊というのは聖霊なのですね。聖霊は時間と場所に限定されません。いつでもどこでも働くわけです。ですから教会とかキリストとかいう言葉を知らない人の心にも聖霊が働くはずであると思われているのです。第二バチカン公会議では次のように言っています。「われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に供給すると信じなければならない。」(『現代世界憲章』22』)
救われるということは、キリストの死と復活にあずかるという言い方になりますが、イエスが罪を滅ぼして天国への門を開いて下さったお陰で誰でもその門を通ることができるようになりました。ただし、聖霊の働きに答えないと駄目なのです。この盗賊のように「お願いします。よろしく!」と言わなければなりません。この「お願いします。よろしく!」というのは仏教で「南無」というそうです。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏により頼む、お任せするという意味だそうですね。
神はすべての人が救われることをお望みになり、そのためにイエス・キリストをお遣わしになり、そして御子を十字架の上で殺されることさえお厭いにはなりませんでした。そして御子の死後、聖霊をつかわしました。聖霊は父と子の交わり、父の霊であり、御子の霊であり、すべての人に与えられています。聖書では旧約の歴史の時から神の霊は働いていたというように教えているわけです。
今、「司祭年」を過ごしています。イエスの弟子は12人です。12使徒の1人がイスカリオテのユダであったわけで、裏切り者でした。でもその裏切ったという点では、他の11弟子も同じです。どこが違うかと言うとユダの方は失望して自殺してしまったと書いてありますけど、他の弟子たちは大変後悔しました。ヨハネの福音の復活と聖霊降臨の箇所です。聖霊降臨を50日祭と言っていて50日目に起こったこととされています。週の初めの日、復活したイエスが現れました。弟子たちはユダヤ人が恐ろしくて家に閉じこもって鍵をかけていたのですが、そこに復活したイエスが入ってこられて「あなたがたに平和があるように」とおっしゃり、重ねて言われました。「父が私を遣わしたようにわたしもあなたがたを遣わす。」そうして、息を吹きかけて「聖霊(プネウマ)を受けなさい。あなた方がゆるす罪は、ゆるされる。あなた方がゆるされない罪はゆるされないままになる」と言われて弟子たちを派遣されました。「良い便りを伝えなさい。」と。
使徒とは使わされた者という意味です。パウロは別途復活したイエスに出会います。ダマスコに行く途中、天から強い光が射してきて「サウロサウロなぜ、私を迫害するのか?」という声が聞こえてきたのです。パウロの回心、サウロからパウロになったわけであります。この使徒、そして教会の歴史を見ると最初の教会、初代教会では、監督と言われる人や長老と言われる人や執事と言われる人がいたことがわかります。野球の監督と同じ監督です。長老という人たちはその群れの世話人ですね。執事というのは、今で言えば、人のお世話をする、病気の人や貧しい人のお世話をしたり、その共同体の経済のことだの、建築のことだの実際的なことについて教会に奉仕した人でありまして、非常に重要でありました。この三つの役割の区別は、最初ははっきりしていませんでしたが、次第に位階制というものが確立して司教、司祭、助祭とこうなってきたのです。助祭は、司祭とは違いますね。今、世界中に助祭という方はたくさんいます。教会の奉仕者の中で司教、司祭、助祭がよく働くことができますように皆様のお祈りが大切です。
今日の話の締めくくりですが、「おぎん」という小説の話をしましたが、神はすべての人が救われることを望んでおられます。わたしたちはすべての人が救いに与る可能性を持っていますし、(すべての人が)持っていたということを信じなければなりません。でも神様の呼びかけに答え、あるいは神様に自分をお委ねするというそういう信仰が大切であるということです。
マリア様にお祈りいたしましょう。
「恵みあふれる聖マリア、主はあなたとともにおられます。主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました。神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、今も、死を迎える時も祈ってください。アーメン」


後感想

文芸作品のインスピレーションは、多様に理解されるべきものである。私がその中からとらえたインスピレーションは、文化とか信仰の民族による「異質性」である。つまり、西洋(あるいは中洋)と東洋との地政学的または身体的相違であり,その差異に基づく生活信条の差異である。さらに言えば、東洋と西洋は同質の文化的・宗教的基盤を持っているともいえる。それは、古代から守り続けられた地政学的信条、宗教観であろう。日本をはじめとした東洋では、神道という心情が綿々と受け継がれてきたといってよいだろう。反対に、変化したのは西洋のほうである。先住民の森の民の信仰が砂漠地帯の一神教の一分枝キリスト教に代わっていったのだった。したがって、ここでいう西洋と東洋の異質性は、一神教と森の宗教との異質性ということになろう。本来の西洋と東洋は同質のものであったのだ。

ここに紹介した「講話」は、現代のカトリックから見た「おぎん」の注解であるが、私たちはそこから何を読み取ることができるだろうか? キリスト教の信仰を維持し拡大させるためには、イスラム原理主義のようなファナティシズムに訴えないとすれば、その教義と典礼を限りなくグローバリズムに近づけることしかない、ということではないだろうか。つまり、地政学的差異に基づくそれぞれの立場独自性を希釈して、普遍性を一段と顕彰していくことになる以外になく、それは避けられないことのように思われる。さらに言い方を変えると、かつてカール・ポランニーが人間の活動の方向性について指摘した「形式性」と「実体性」の尺度でいえば、「形式性」の方向にひた走っていることになる。その到達点はどこになるのだろうか?

つまり、この講話が目指すベクトルは、私の目指すベクトルと全く逆方向を向いていると断言できる。

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