神風特別攻撃隊への讃辞について

 

 

神風特別攻撃隊、この言葉を聞くと私は胸騒ぎを感じる。何故だろうか? 多くが若年のこの兵士たちは、理論的な評価を受け付けないからである。戦後、様々な方面からの論評が行われたが、どれも本当には相手にされていないし、今後もさまざまに論じられるだろう。しかし、決して彼らが世界の歴史から忘れ去られることはありえないだろう。

私はといえば、学生時代は左翼学生であった、それも「新左翼」。マルクスの勉強もかなりやったし、専門は経済学で、マルクス経済学を勉強した。革命・改革という社会運動に魅力を感じていたのだ。しかし、このどちらかと言うと機械的なダイナミズムは、日本人の民族性に合わないのではないかと当時から感じていた。これは暴力的なダイナミズムのことではない、「暴力」は社会に動力を与える一つの重要要素である。歴史上重要な特異点をなす武家社会がそうゆうものだ。しかし、ここで表現したいのは、力が「機械」的に伝達され作動するダイナミズムということで、人間社会をそのような物理力で作用させようとすることなのだ。

そのような思いを抱いていたとき、大学1年の夏のことであるが、本郷にあった東大出版会売店で新書版の「きけわたつみのこえ—日本戦没学生の手記」(東大出版会)を買った。そして、それを寝る前によく読んだ。何度読み直したかわからず、装丁の悪いこの新書版はぼろぼろになっていた。この本のタイトルページの裏に、次のような和歌がある。

   なげけるか いかれるか

     はたもだせるか

       きけ はてしなきわだつみのこえ

この和歌が深く印象に残っている。しかし、学生時代にこの「日本戦没学生の手記」の重みというか深みが私の心を動かすことはなかった。今は、そのことを深く恥じている。

戦後フランスからやってきて東大教授を務めた人物に、モーリス・パンゲ(Maurice Pinguet)がいる。彼は日本の歴史を貫く精神を「自死」に見出し、La mort volontaire au Japon (訳「自死の日本史」. 1984)という大著を残した。フランス人らしい思想的な展開が素晴らしいのだが、その中で彼は「特攻隊」次のように評している。

「人の心を打つのは、むしろ彼らの英知、彼らの冷静、彼らの明晰さなのだ。震えるばかりに繊細な心を持ち、時代の不幸を敏感に感じ取るあまり、おのれの命さえ捨ててかえり見ないこの青年たちのことを、気の触れた人間というのでなければ、せいぜいよくて人の言いなりになるロボットだと、わらわれは考えてきた。彼らにとっては単純明快で自発的な行為であったものが、われわれには不可解な行為に見えたのだ。強制、誘導、報酬、妄想、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。しかし実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の目には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をこそに見るべきであったのだ。

心を引き裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。生きていることが美しかるべき年頃に、立派に死ぬことにこれらの若者たちは皆、心を用いた、そのために彼らは人に誤解された。彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本のために死んだ。だが彼らを理解するのに日本人である必要はない。死を背負った人間であるだけでよい。」(同書訳350頁)

モーリス・パンゲの特攻隊青年への讃辞は国際主義的であり、どこか西欧風の人間主義が根底にある。一方、戦中の同時代を緊張感をもって生きた日本人の中からの讃辞もある。その一つとして坂口安吾のエッセイ「特攻隊に捧ぐ」は、現代の私達にも訴えるものがある。以下それを掲載しよう。 

 


 モーリス・パンゲMaurice Pinguet

 

坂口安吾

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特攻隊に捧ぐ (1947)

坂口安吾 

 数百万の血をささげたこの戦争に、我々の心を真に高めてくれるような本当の美談が少いということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根本に於《おい》て、たとえば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせようというような非人間的なものであるから、真に人間の魂に訴える美しい話が乏しいのは仕方がないことであろう。

 けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。

 たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専《もっぱ》ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄《ぐろう》することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈《はず》はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。

 私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊を残酷だというが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能《ちのう》方策を傾けて戦う以外に仕方がない。特攻隊よりも遥《はるか》にみじめに、あの平野、あの海辺、あのジャングルに、まるで泥人形のようにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。戦争は呪《のろ》うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然《しか》し、特攻隊はともかく可憐《かれん》な花であったと私は思う。

 戦法としても、日本としては上乗のものだった。ケタの違う工業力でまともに戦える筈はないので、追いつめられて窮余の策でやるような無計画なことをせず、戦争の始めから、航空工業を特攻専門にきりかえ、重爆などは作らぬやり方で片道飛行機専門に組織を立てて立案すれば、工業力の劣勢を相当おぎなうことが出来たと思う。人の子を死へ馳《か》りたてることは怖《おそ》るべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ。日本軍の作戦の幼稚さは言語同断で、工業力と作戦との結び方すら組織的に計画されてはおらず、有力なる新兵器もなく、ともかく最も独創的な新兵器といえば、それが特攻隊であった。特攻隊は兵隊ではなく、兵器である。工業力をおぎなうための最も簡便な工程の操縦器であり計器であった。

 私は文学者であり、生れついての懐疑家であり、人間を人性を死に至るまで疑いつづける者であるが、然し、特攻隊員の心情だけは疑らぬ方がいいと思っている。なぜなら、疑ったところで、タカが知れており、分りきっているからだ。要するに、死にたくない本能との格闘、それだけのことだ。疑るな。そッとしておけ。そして、卑怯《ひきょう》だの女々しいだの、又はあべこべに人間的であったなどと言うなかれ。

 彼らは自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。否《いな》、その大部分が途中に射ち落されてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の栄誉ある姿と見てやりたい。母も思ったであろう。恋人のまぼろしも見たであろう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄《うた》う必要はないのである。詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?

 我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の偽懣《ぎまん》とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。

 私は無償の行為というものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の滅私奉公で、戦争中は合言葉に至極簡単に言いすてていたが、こんなことが百万人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駈《か》って至極簡単に奇蹟《きせき》を行わせた。

 私は然しいささか美に惑溺《わくでき》しているのである。そして根柢《こんてい》的な過失を犯している。私はそれに気付いているのだ。戦争が奇蹟を行ったという表現は憎むべき偽懣の言葉で、奇蹟の正体は、国のためにいのちを捨てることを「強要した」というところにある。奇蹟でもなんでもない。無理強いに強要されたのだ。これは戦争の性格だ。その性格に自由はない。かりに作戦の許す最大限の自由を許したにしても、戦争に真実の自由はなく、所詮《しょせん》兵隊は人間ではなく人形なのだ。

 人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為と云《い》ったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。

 けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応《いやおう》なく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶《せいぜつ》な死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以《もっ》て敬愛したいと思うのだ。

 強要せられたる結果とは云え、凡人も亦《また》かかる崇高な偉業を成就《じょうじゅ》しうるということは、大きな希望ではないか。大いなる光ではないか。平和なる時代に於て、かかる人の子の至高の苦悩と情熱が花咲きうるという希望は日本を世界を明るくする。ことさらに無益なケチをつけ、悪い方へと解釈したがることは有害だ。美しいものの真実の発芽は必死にまもり育てねばならぬ。

 私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。その人間の懊悩《おうのう》苦悶《くもん》とかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。先ごろ浅草の本願寺だかで浮浪者の救護に挺身《ていしん》し、浮浪者の敬慕を一身にあつめて救護所の所長におされていた学生が発疹《はっしん》チフスのために殉職したという話をきいた。

 私のごとく卑小な大人が蛇足する言葉は不要であろう。私の卑小さにも拘《かかわ》らず偉大なる魂は実在する。私はそれを信じうるだけで幸せだと思う。

 青年諸君よ、この戦争は馬鹿《ばか》げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。

 要求せられた「殉国の情熱」を、自発的な、人間自らの生き方の中に見出《みいだ》すことが不可能であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。■

 <注記>

この坂口安吾のエッセイは雑誌「ホープ」第二巻第二号(実業之日本社、1947年 昭和22年2月1日発行)に掲載予定だったが、GHQの検閲により削除された。現存のテキストは、すべて「占領軍検閲雑誌」雄松堂(マイクロフィルム)による(写真参照)。この隠された原稿が、日の目を見たのは、驚くべきことに2000年以降のことである。現在いくつかの版が存在するが、ここの引用は、インターネットの図書館 青空文庫からです。 

 

占領軍検閲雑誌」雄松堂マイクロフィルムから

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