占領下の日本は、情報空間の鎖国状態だった!


 

戦後生まれの私は、戦前・戦中・戦後の日本の状態を比較できない。戦争直後と現代を比較することはできるのだが。そうゆう私が、戦争直後の日本の世界をどう感じ取っていたかについて、一言で感想を述べると、当時は子供でありながら思い道りに話し、思い通り振る舞える、その意味で偽りのない世界にいると感じていた。そのような印象をかつて、本ブログで述べたことがある。
(https://konnzomenoma.hatenablog.com/entry/20180823/1534976329 -瓦礫の街に咲いた幻の「花の街」- どん底で夢見る力-)

その偽りのない世界には、怒り喜び、妬み友情、悲惨さ気高さ、あらゆる現象がそのままの形で存在していた。ところが、ふと妙だと感じていたことがある。それは、小学校など「学び」の空間で接するものが、あまりにも「よそよそしい」あるいは「美しすぎる」という思いだった。それはそれとして、楽しく輝かしいものであったが、それらは現実の世界とあまりにも違い過ぎないか、言い方を替えると、大きな人為的な壁がそこにあるのではないか、という気持ちを拭い去ることはできなかった。

話はちょっとかわるが、雑誌「正論」最新刊号(2020年7月号)を読んでいて、ある連載記事でひざを打って納得した。その連載記事とは、上掲で示した平川祐弘氏の「昭和の大戦とあの東京裁判--第六回太平洋戦争か大東亜戦争か」である。

その中で、同氏は次のように述べている、
私は昭和二十年代の末に当時の半鎖国状態の日本から脱出し、占領下の日本は自国を矮小化する特殊な情報閉鎖空間であったという感を、日本に帰国した際のカルチャー・ショックから抱いたが、しかし戦前の日本とても夜郎自大の歪んだ情報空間の中にいたのだ、と今は思い返している。そして実は今日においても依然としてバランスを失した見方がまかり通っている。ただ以前と違って、外国体験者が日本にふえた。その人たちがバランスを取る力となっている.(同誌276頁)

 

そうなのだ、私の幼年時代は、言語空間が鎖国時代だったんだ! そして今の日本は? やはり敗戦国としての鎖国状態を自ら強いている。こう考えると合点がいく。

/*