日本のアリア「しあわせ運べるようにー神戸」


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神戸地震アンデス高地

すでに30年近く前のことになるが、1995年初頭の1月に神戸を大地震がおそった。この大震災は戦後稀にみる巨大自然災害であった。神戸の住民、被災にあった人々の自らを守る活動とその勇敢さについて報道を通して知っていた。

当時、僕はといえば、日本にほとんどいなかった。年の半分近くの期間は南米のペルーに行っていた。それも、首都リマにいたわけでなく、アンデス高地のチチカカ湖湖畔の町プーノまたはラパス(ボリビア)に滞在中であった。しかも、プーノとアンデス高地のリャマ・アルパカ牧民集落の間を行き来する日々を過ごしていた。

民集落にいるときは、神戸地震のことなど僕の耳に入るはずはなかった。初めての実地調査であったこともあり、僕自身調査活動に前のめりになっていた。確かに放牧地で仕事をする牧民たちは、よくトランジスターラジオを聞いている。しかし、「日本・KOBE...」が何処のことなのか、彼らが知る由もなかったので、話題になることはなかった。

そんな折、この地震についてプーノの宿にいた際にたまたまラジオのニュースで知った。また、知人の口からその情報はもたらされたし、「日本は大丈夫か」という心配の声をいくつか聞いた。しかし、続報はほとんどなかったのだ。

それから、1か月以上を経過したころ、プーノの町に日本の若者の姿をチラホラ見るようになった。同宿にいる彼らとは必ず情報交換をすることにしている。驚いたことに、彼らの多くは神戸からきた若者だったのである。僕は彼らに質問した、「こんな時に、親がよく南米旅行を許可したね?」と。すると、彼らの何人かから「こういう時だから、行きたいところに今すぐ行ってこい。死んでしまったら、行きたいところにも行けないのだから」と親に言われたという。このやり取りは、深く僕の心に残った。

 

神戸復興歌

あの時からすでに四半世紀以上経ってしまった。その間自然災害は次から次へ日本を襲ってきた。東日本大震災福島第一原発事故は、代表的なものだろう。そうした中で、感動的な出来事や、否定的なあるいは反日的事象が、さまざま報道されてきた。そんな中で、被災者の自立を目指す行動と外部からの支援活動はどのように関係すべきかに、僕は注目していた。その一つが、災害をめぐる詩情、つまり歌だ。

僕はかつて、本ブログに第二次大戦直後の復興歌「花の街」(1949)を高く称揚する記事を書いた。「瓦礫の街に咲いた幻の花の街- どん底で夢見る力」(https://konnzomenoma.hatenablog.com/entry/20180823/1534976329?fbclid=IwAR1aAdH_ZWcNe3J7MRKRauYQyo0eHuZA0shotTOcSnad-xzkweo-RkdMcY8

がそれである。

その中で言いたかったことは、被災者自らが立ち上がる事情を歌い上げているかどうかだった。単に外部の支援者の応援の感情を歌い上げでも力にならない、ということであった。

 

神戸地震の折、小学校の教師によって作詞作曲された「しあわせ運べるようにー神戸」に、最近やっと注目することができた。さらに、この歌が四半世紀歌い継がれてきたことを知り、うれしくてたまらなくなった。

今思うことは、「花の街」「しあわせ運べるように」は、両者には詩表現の観点から大きな違いがあるとはいえ、日本の風土が生んだ日本的アリアの粋だといえるだろう。

 


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復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』~神戸から東日本、日本各地、世界へ~

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