私たちは「反原発」の礎を、どこに置くべきか?


私は、東京新聞の愛読者であり、毎週日曜日の巻頭に載るドナルド・キーンの連載エッセイを楽しみにしている。キーン氏は、ただの日本文化愛好家では勿論ない。日本生まれより深いであろう文化洞察に基づいた日本への「愛郷心」が、つねに洞察の原点になっている。

今回は、我が家の故郷である新潟の長岡周辺にある周知の「柏崎」に関するエッセイである。我々は、どういう立場あるいは思想に基づいて「反原発」を叫ぶことができるか。このエッセイは、そのことを考えさせてくれる。愛郷心に基づく「反原発」、いかなる功利主義、進歩的で未来志向の思想からも自由な、純粋な「愛郷心」が、「反原発」の一番強い核になりうるはずであるし、それ以外にはないだろう。つまり、「保守」が最も強くて重い。多くの右翼主義者、自称「保守主義者」は、このことに気づくべきである。

東京新聞」2013.7.7.(日曜日)
古浄瑠璃の地 ― 柏崎なぜ原発

ドナルド・キーン

私は先月、九十一歳になった。日本では、高齢者はおしなべて大切にされ、私も恩恵を受けている。だが、「古いもの」となると話は別である。古典を愛する私には、どうもの本陣が「古い日本」の良さを、十分に認識していないような気がしてならないのだ。

一例が、近松門左衛門が活躍する以前の江戸時代初期の古浄瑠璃本「越後国柏崎 弘知法印御伝記(こうちほういん ごでんき)」だ。御伝記は、裕福な家に生まれたほうとう息子が妻の死を契機に出家し、修行の末に即身仏になる物語。浄瑠璃の歴史上、貴重な史料である。それが日本には残されていなく、ロンドンの大英博物館に、三百年以上も前から保管されていたのである。

御伝記は十四世紀に即身仏となり、今も新潟県長岡市の西生寺に安置されている弘智法印がモデル。1685年に江戸で刷られ、ドイツ人医師が長崎から持ち出したとされる。大英博物館の蔵書となり、それを早稲田大名誉教授の鳥越文蔵がみつけた。四年前には文楽の三味線弾きで活躍した越後角太夫が中心となって上演、当時の大衆娯楽が体感でき、大好評だった。

だが、御伝記が持ち出されなければ、大英博物館が保管していなければ、さらには鳥越が気付かず、角太夫が上演しなければ、古浄瑠璃は永遠に日の目を見なかったのだ。

私は1953年に京都大学院に留学した。当時の楽しみの一つが文楽や能の観劇だった。自らも「日本文化理解の一助に」と狂言の稽古をした。喜多能楽堂谷崎潤一郎川端康成らが見守る中、「千鳥」の太郎冠者を演じもした。だが、第二次世界大戦敗戦の影響か「古い日本」は否定されがちで、当時から伝統芸能は「いずれは姿を消す」とも言われていた。

57年に日本で国際ペンクラブ大会が開かれ、私が一員だった米国の他、角国の代表団が能を鑑賞した。直後、記者からの質問は「退屈したでしょう?」。同時期に三島由紀夫の近代能がニューヨークで話題となり、ある特派員から取材を受け「能とは何ですか?」と聞かれた。冗談を言っているのかと思ったが、そうではなく、私はあぜんとした。欧米の文化吸収に忙しく、世界に誇る日本の伝統芸能を忘れているのだろうか。

戦後70年近くたった今も、状況は変わっていない。大阪市では昨年、文楽への補助金削減が打ち出され、物議をかもしたばかりだ。

私のように日本の伝統芸能に夢中になる人は、海外に少なくない。私は66年に、ジズからが興行師地なって能の一行を日本から招待し、スポンサーを募って米国とメキシコで36回ほどの上演ツアーを主催した。大成功だった。

越後国柏崎 弘知法印御伝記」はゆかりの地、新潟県柏崎市でも上演された。今、柏崎といえば、過疎地に立地されがちな原発が連想される。だが、古浄瑠璃の舞台となったことからも解るように、昔から豊かな文化があった場所だ。日本はどこでボタンを掛け違え、なぜ柏崎は原発を受け入れることになったのか---。
(日本文学研究者)

東京新聞」日曜連載「ドナルド・キーンの東京下町日記」より





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