Un relato de malicia: Visión del pasado y del futuro cercano (民兵隊についての寓話)

Creo que todos ustedes ya han visto una película española titulada “la lengua de las mariposas”(1999). Se produjo ya más que 10 años antes, pero se destaca que el tema de cual se encuentra a la crítica fuerte de facismo, sobre todo, en la era del General Franco de la República Española.

En la parte final de ésta, bien se describe la violencia de malicia y la obedencia involuntaria de los pueblos. Pero, cuidemos! No es el pasado, será una visión cercano del mundo, sobre todo, de Europa y de los Países Asiáticos Orientes. A lo menos, se dice que el Japón ya tomó su primer paso en esta étapa.

Abajo les presento un relato corto sobre atomósfera social de facismo y el terror de “malicia”, es seguro que tendría el mismo tema con la pelicula mancionada arriba. El cual es titulado “mañana parda” (novela corta de Francia 1998): en triples versiones, la versión francesa(original), la castellana, y la japonesa. Aquí se pone la versión japonesa, y otras se puede leer por clic cada carpeta.

Matin Brun v.francesa-original.pdf 直

Mañana Parda v.castellana.pdf 直

Versión japonesa [abajo]

茶色の朝
フランク・パブロフ

太陽に向けて足を伸ばしながら、シャルリーと私は何を話す風でもなく、お互いが傍らで何を語っているのかにはさして注意も払わずに、頭の中にただ浮かんだ考えをやりとりしていた。コーヒーをすすりながら、時間がただ過ぎるに任せているのは心地よいひとときだった。シャルリーが彼の犬に(安楽死のための)注射をしなければならなかったという話を聞いた時には驚いたものだが、ただそれだけだった。耄碌した犬ころを見るのはいつも悲しいものだが、15歳を過ぎたとなってはいつの日か彼は死ぬという考えは持っておかなければいけない。

― 分かるだろう、あの犬が茶色だって押し通すには無理があったんだ。
― まあそうだが、ラブラドル犬が茶色であるべきだなんてあんまりな話だ。ということは、何か病気でも持っていたのかい?
― そういう問題じゃない。あいつは茶色の犬ではなかった。それだけさ。
― 何てこった、猫が処分された時と同じだっていうのかい?
― ああ、同じだ。
猫の時は、私は当事者だった。先月、私は自分の猫を一匹手放さなければならなかった。やつは白地に黒のぶちという悪い巡り合わせの(ふつうの)家猫だった。猫の過剰繁殖が耐え難いというのは確かだったし、国家の科学者たちが言うところによれば、茶色の種を保存するのが次善の策だということもまた確かだったのだ。茶色だけだ。あらゆる選別テストが示すところによれば、茶色の猫がもっとも都市生活に適合し、子供を産む数も少ないし、そして餌も大変少なくて済むというということだった。個人的には猫は猫だとは思うが、問題は何らかの方法で解決すべきなのだから、茶色ではない猫の排除を定める法令に従う他はない。街の自警団が砒素入りの団子を無料で配布していた。砒素入り毒団子は餌に混ぜられ、(去勢前の)雄猫たちは瞬く間に片付けられてしまった。その時は私の胸1が痛んだが、人というのはあっさりと早く忘れてしまうものだ。

犬の時はさすがに驚いた。何故かはよく分からないが、たぶんそれは猫よりもずっと大きいからか、あるいはよく言われるように、人間にとっての輩(ともがら)であったからだろう。いずれにしてもシャルリーは、私が猫を処分した時と同じくらい自然な体でそれを話していた。そして彼は正しかったのだろう。感傷的になり過ぎたところで何か大したことが起きるわけではないし、犬についても、茶色いのが一番丈夫だというのも多分正しいのだろう。

お互い話すこともそれほどなくなったので、私たちは別れることにしたが、何か妙な印象があった。あたかもそれは何か言い残したことがあるかのようだった。あまりいい気持ちがしなかった。

それからしばらく経って、今度は『街の日報』がもう発行されないということを私がシャルリーに教える番だった。彼はびっくり仰天した。『街の日報』はクリーム入りコーヒーを飲みながら、彼が毎朝開いている新聞だったのだ。

― 彼らが潰れたって? ストライキか、倒産か?
― いや、いや、犬の一件の続きのためだ。
― 茶色の?
― ああ、ずっとそうだったのさ。一日とおかずにあの新聞は国のこの政策を攻撃していたからね。挙げ句の果てには彼らは(国の)科学者たちの実験結果まで改めて疑いだしたんだ。読者達はどのように考えるべきか分からず、ある者達は自分の犬を隠すことさえ始めたんだ。
― そりゃ度が過ぎたようだな……
― おっしゃるとおり。新聞はついに発禁になってしまったというわけだ。
― なんてこった。三連馬券についてはどうしたらいいんだい?
― そりゃお前さん、『茶色新聞』でとっておきのネタを探すしかないな。もう新聞はそれしか残ってないんだから。競馬とスポーツについてはそこそこイケてるって話だ。他の新聞がみんな脇へ押しのけられてしまった以上、新聞が街には一つくらい残っていてしかるべきだろう。いっつもニュースなしで済ますというわけにはいかないし。

その日はシャルリーとコーヒーをもう一杯飲んだが、『茶色新聞』の読者になるというのはなんだか嫌な気持ちだった。にもかかわらず、私の周りのビストロの客達は前と変わらぬ暮らしを続けていた。そんな風に心配する私がきっと間違っているのだろう。

新聞の後は図書館の本の番だった。これまたあまり明快な話とはいえない。『街の日報』と財務上同一グループをなしていた数々の出版社が訴追を受け、それらの出版社の本は図書館の書架への配架が禁止された。それらの出版社が刊行を続けていた本をよく読めば分かることだが、一冊に犬や猫といった単語が一つは出てくる。だがその単語に「茶色の」という言葉が常にセットになっているわけではない。出版社はやはりそういうことは知っておくべきだったのだ。

― 派手にやり過ぎちゃいけないよ。
シャルリーは言った。
― 法の網の目をかいくぐったり、法律といたちごっこをすることを引き受けたって国民にとっては何にも得にはならないんだよ。あ、茶色のいたちね。

彼は周囲を見回して、万一誰かが私たちの会話を晒し者にすることがないように茶色のいたち、と付け加えた。用心のために、私たちは文や語に「茶色の」と付け加えるのが習慣になっていた。最初の頃はふざけて茶色のパスティス2を注文していたものだが、結局のところ言葉遣いは変われば変わるものであって、わけもなく仲間内で我々が「この糞ったれ」と付け加えるような感じで、言葉や文章を「茶色」にすることをそんなに奇妙には感じなくなっていたのだった。少なくとも、人々からよく見られていれば、私たちは静かに生きていられる。

そして私たちはついに三連馬券を的中させたのだ。ああ、たいした金額ではないけれども、それにしたって私たちにとっては最初の当たり茶色三連馬券というわけだ。そのおかげで新しい規則の煩わしさも受け入れられるようになった。

ある日、私はそれをよく覚えているのだが、チャンピオンズカップの決勝を見に家に来ないかとシャルリーに言った。彼が来たとき、私は爆笑してしまった。彼は新しい犬とやってきたのだ! 素晴らしいことにその犬はしっぽの先から鼻先まで茶色で、目まで栗色だったのだ。

― ほうら、ようやく見つけたこいつは前の犬より情感豊かで、指一本動かすか、目をちらと動かすだけで私に従うんだ。黒いラブルドル犬くらいで悲劇ぶるんじゃなかったよ。

彼がそう言い終わらないうちに、その犬はソファの下にもぐり込んで、頭がいかれたみたいにキャンキャンと吠えだした。そいつは「たとえ茶色だからって、俺は主人にだって他の誰にだって従わないぞ!」と何かを相手に言っているかのように大声で吠えていた。そしてシャルリーは突如何かを理解したようだった。

― いやまさか、君もか?
― まさしくその通りだ。見ろよ。

そこでは、私の新しい猫が矢のように飛び上がってカーテンをよじ登って箪笥の上に待避していた。私の(去勢前の)雄猫も、毛並みも瞳も茶色だった。何て偶然の一致だ! 私達は大笑いした。

― そういうことだ。
私は彼に言った。
― いつも猫を飼っていたものだが、こいつもなかなかイケてる猫だろ?
― 素晴らしい。
シャルリーは答えた。

それから私達はテレビを付けた。その間私達の茶色の犬と猫はお互いに横目で様子をうかがっていた。どちらが勝ったのかはもう覚えていないが、素晴らしいひとときを過ごせたと思う。安全だという感じがしたからだ。それはあたかも、ただ単に街中の常識に従ってやってさえいれば、安心していられるし、暮らしもすっきり行くというかの如くだった。茶色の安全というのも悪くはないもんだ。勿論、アパートの正面の歩道ですれ違った小さい男の子の事を考えてはいた。彼は足下に横たわる白いプードルの死体を前にして泣いていた。だがいずれにしても、大人が言っていることをよく聞けば、犬が禁止になったわけではなく、茶色の犬を探せばいいだけだと分かるだろう。茶色の子犬だって見つかるわけだし、私達のように、規則に従った暮らしをして安心できれば、昔のプードルのことなんかさっさと忘れてしまうだろうに。

そして昨日、信じられないことに、すっかり平穏に暮らしていると安心している私が、危うく街の自警団に引っ立てられそうになった。奴らは茶色の服を着ていて、情け容赦のない奴らだった。幸い、奴らはこの地区に来たばかりで、全員の顔と名前を覚えているわけではなかったので、私が誰だか分からなかったらしく、助かった。

私はシャルリーの所へ行った。日曜、シャルリーのところでブロットをやるつもりだったのだ。ビールを1パック、それだけを手に持って。ビールをちびりちびりと飲みつつ、2〜3時間トランプをやるはずだったのだ。

ところがそこには、驚くべき光景が広がっていた。彼のアパートのドアは粉々に吹っ飛ばされていて、自警団の人間が二人、踊り場に突っ立って野次馬の交通整理をしていた。私は上の階に行くふりをして、エレベーターでもう一度下へと降りた。下では、人々がひそひそ声で話していた。

― だけど彼の犬は本当に茶色だったろ、ウチらだって見たんだから間違いないじゃないか。
― ああ、だけれども、連中が言うには、彼が前に飼っていたのは、茶色ではなく黒の犬だったそうだ。黒い犬だったんだよ。
― 前に?
― ああ、前に、だ。今では茶色以外のペットを飼っていたことも犯罪4なんだよ。それを知るのは難しい事じゃない。隣近所に聞けば十分だろ?

私は足を早めた。汗が一筋シャツに伝った。以前に茶色以外のペットを飼ったことがある事が犯罪なら、私は官憲5の格好の餌食だろう。今のアパートの人間はみんな私が白黒の猫を飼っていたことを知っている。以前に!そんなことは、考えてすらいなかった!

今朝、茶色ラジオ局はそのニュースを伝えた。シャルリーは間違いなく逮捕された500人のうちの一人だろう。最近茶色のペットを飼ったからといって、飼い主の心が変わったわけではないというのだ。ラジオのニュースは続けて言った。「不適切な犬あるいは猫の飼育は、それがいかなる時期のものであれ、犯罪です」。アナウンサーはさらに、不適切な犬あるいは猫の飼育が、「国家侮辱罪である」とすら付け加えた。そして私はその続きをしっかり書き留めた。曰く、「不適切な犬あるいは猫を個人として飼育したことがなくとも、親族、つまり父、兄弟、あるいは例えば従姉妹がそのような色の犬あるいは猫を人生に渡って過去一度でも飼育したことがある場合には、その者は重大な係争に巻き込まれる恐れがある」とのことだ。

……シャルリーがどこに連行されたか、私は知らない。だが、連中はやり過ぎだ。それは狂気だ。そして私は茶色の猫を飼ってさえいればずっと静かに暮らしいてられると思っていた。勿論、茶色の連中が過去の洗い出しをすれば、猫や犬を飼っていた人間はしまいにはみんな捕まってしまうだろう。

私は夜中寝ることができなかった。連中が動物に関する最初の法律を課してきたときに、私は「茶色」の話を信用すべきではなかったのだ。いずれにせよ私の猫は私のものだったのだし、シャルリーにしたってそれは同じだったのだから、「茶色」には否と言うべきだったのだ。もっと抵抗すべきだったのだ。だがどうやって? 連中の動きは実に迅速だったし、私には仕事もあれば日々の暮らしの悩みもある。他の連中だって、少しばかりの静かな暮らしが欲しくて手を拱いていたんじゃないのか?

誰かがドアを叩いている。明け方のこんな早い時間には今までなかったことだ。日はまだ昇っていない。外はまだ茶色だ。
だけれど、そんなにドアを強く叩くのはやめてくれないか。
今行くから。


「官憲」(milice)はヴィシー政権(第2次大戦時のフランスにおけるナチスドイツ協力政権)の民軍と同じ語。民軍はヴィシー政権下ではレジスタンス狩りを行っていた。





/*