「風」の時代性:Arthur Binard氏のエッセイから

私がこのブログを始めたとき、「風」を強く意識していた。その意識の底にあったものが何であったのか、必ずしもはっきりしていたわけではない。しかし、最初の頃書いた記事に「風のかたち」(2011-05-10)があり、とにかく「風」で行こうということを宣言しておいた。
http://d.hatena.ne.jp/kobayaciy/20110510/1305033516

「風」は面白い、変な言い方だが。まず、それは眼に見えないし、だから形があるようには思えない。だけど、人々は、風にいろいろな意味で思いを寄せてきた、あるいは、何か捉えどころのないものを言い表すためにただ利用してきたとも言える。

僕に「風」を意識せぜるをえないきっかけを作ったものは、昔から好きで親しんで来た自転車ツーリングであったと思っている。自転車に乗ると、風を感じる。自転車に乗ると風の色まで感じ取れるという人がいるが、私はまだその域に達してはいない。自動車や電車という移動手段では、風を感じることができない、風の音は聞こえるが。むしろ、それらの乗り物は風を敵視しさえしているように思われる。また、自転車に乗っていても、逆に、風をまったく感じない時もあるが、それでも風は吹いている。つまり、自転車の速度とほぼ同じ速さで吹く追い風の中にいるとき、まったく「風」を感じないのだ。

風は物理的に体でその存在を感じ、皮膚で感じる。こんなことが何故重要なのだろうか? 私たちが海や湖の底で歩こうとすると,うまく歩けず、もどかしい気持ちになる。水の水圧を感じるからである。そのもどかしさこそが、実は、私たちが今どこに居るのかを気づかせてくれている。水の中という、人間が自由に行動するのにちょっと不便な地球環境のひとつにいる、ということを体で気づかせてくれるのだ。

風を感じるということも、まったく同じことだと思う。私たちは、重力があるために、そんなに長く地表から離れて空に舞い上がっていられない。つまり、私たちは、地表を歩き、走る、多くの動物の一つなのだ。しかし何もない空間を動き回っているわけではなく、空気という物理層の中を動いているのである。私たちは、日常それをほとんど意識していない。なぜか? それは私たちは空気の中でのみ自由でいられるからである。自由にしてくれるものに我々は思いを馳せることをしない、我々は元来恩知らずなのだ。しかし、その空気の存在を肌で感じさせてくれるのが「風」ではないのか。つまり我々を覚醒させてくれるものなのである。

それは単に空気の存在だけを教えているわけではない。私たちは、大地と薄い空気の層の間に生きている存在なのだ。大地は起伏があり山と谷間を造り、空気は多量の水分を含み天候現象を生じさせている。さらに、大地・空気・水の無限の相互作用が展開する、そういう環境が我々の存在場所なのだ。「風」に触れるとは、私たちのこの地球上での存在場所、その環境をいやおうなく意識させてくれる、と考えているが、ちょっと考え過ぎだろうか? 

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以上述べたことは、風に対する私たちの好意・嫌悪という感情とはかけ離れた存在論的な意味についてでした。それに対して、風に対する好意・嫌悪という感情には、単に個人的な気持ち・育ちの差を越えて、時代的背景が存在すること、特に原子力利用を境にして感情変遷が浮き彫りになってきたことを指摘するエッセイが登場した。あのアーサー・ビナード(Arthur Binard)氏のブログ記事である。

実は、風と放射能をテーマとして結びつけることは、思っても見なかったことでした。それは、多分私が、「風の谷のナウシカ」風に「風の神様!」というやりかたで、「風」を超越的自然の一部と考えていたかもしてません。そのことが間違いとは全く思いませんが、誤謬と錯誤に満ちた原子力というテクノロジーと「風」との関係をもっと考えておくべきだったようです。

以下に、ビナード(Binard)氏の「風下っ子」と題するエッセイを全文引用させていただく。日本人の力を超えた軽妙さと秀逸な語り口で語られる同氏エッセイを堪能しましょう。(引用に関して、同氏の同意を得ようと考えましたが、連絡方法が現時点では不明でした)



(以下引用)

風下っ子 

アーサー・ビナード(Arthur Binard)


「いちばん好きな漢字は?」
 ときどきそう聞かれる。
 日本語を母語として漢字に囲まれながら育った人間も、たまに同じことを聞かれるかもしれないが、回数でいうとぼくのほうがきっと多いだろう。アルファベットの26レターを使って育ち、20歳過ぎてから日本語の文字ジャングルにもぐり込んで、この20年余りずっと漢字と格闘しているからだ。

 ただ、そもそもぼくは漢字とひらがなとカタカナの多様な世界に魅せられて、日本語を覚えようと思い立った。学べば学ぶほどに文字が面白くなり、今も興味が薄れる気配などない。したがって「いちばん好きな漢字は?」と聞かれると、こまってしまう。みんな優劣つけがたく、好きな漢字は馬に食わせるほどあって、いっぺんにどっと頭に浮かんでくる。「馬」「牛」「虫」「蝶」「亀」「蛇」「鳥」「梟」「魚」「鮫」「犬」「狼」「猫」「虎」「蛙」「蟇」「池」「沼」「川」「河」「湖」「海」「山」「峰」「岩」「巌」「木」「樹」「梢」「葉」……といった具合に。

 結局、好き嫌いの基準では選べない。けれど、実際に書いてみて「いちばん実感がわく漢字は?」とくれば、少し候補を絞ることができる。「山」は単純でありながらも見事に山の姿を見せてくれるし、「川」もまったくだ。「毛」を書くだけでなんだか毛が生えてきた感覚になるし、「尾」も妙に尻尾の生えた感覚とつながるし、また「菜」はちゃんと菜っ葉の存在を包んでいる印象だ。もっと画数の多いものでも、たとえば「兜」という字を書いていけば、なるほど兜(かぶと)を組み立てている感じがするし、ましてや「兜蟹」を丁寧に綴ってみたなら、いつの間にか心の中で砂浜が広がり、波打ち際を兜蟹(かぶとがに)が一匹のしのし歩いてくる。でもひょっとしたら、「いちばん実感がわく」のは「風」という漢字ではないか。

 何百回も、いや、何千回となく書いているから、よけい実感をともなうかもしれないが、筆でも鉛筆でもボールペンでも、あの「几」の尻尾の撥ねあたりでシュルッと風が起こる。そして内部に「虫」を孕(はら)めば、その一字の表情が決まる。「微風」に見えるか「強風」に見えるか、「熱風」か「寒風」か、「川風」か「山風」か「潮風」となるか、それは書き手の気分と癖次第だが、どう書こうとも「風」という漢字はなんらかの風を吹かす。しかも、空気そのものが目に見えない存在なのに、漢字の「風」は、この上なくビジュアルな現象なのだ。

 イギリスの詩人クリスティナ・ロセッティのWho Has Seen the Wind?という作品は、涼風のようにやさしく、一度読んだら忘れられない。その名詩を、西条八十の和訳で読むと「風」の漢字の効果も加わり、原作に負けない、あるいはそれを超える風力を発揮する。

Who has seen the wind?
Neither I nor you:
But when the leaves hang trembling,
The wind is passing through.

Who has seen the wind?
Neither you nor I:
But when the trees bow down their heads,
The wind is passing by. 
         Christina Rossetti(1830−1894)

だあれが風を見たでしょう
ぼくもあなたも見やしない、
けれど木の葉をふるわせて
風はとおりぬけてゆく。
         西条八十

 古今東西の人間の暮らしにおいて、風は計りしれない影響をおよぼし、国問わず言語問わず、すべての文学で大きな役割を果たしてきた。ところが1942年に、原子炉というものが初めて組み立てられ、核分裂の連鎖反応によって核兵器の原料が大量につくられるようになった。そこからじりじりと「風」の意味合いが変わり始めた。

 核開発の施設から漏れ出す放射性物質が風にのって飛散する。1945年7月16日にニューメキシコ州プルトニウム爆弾の核実験が行なわれ、北米大陸の風が死の灰を運び、その翌月、広島にウラン爆弾、長崎にプルトニウム爆弾が投下され、市民の大量虐殺とともに、日本の風も、死の灰に毒された。

 それ以来、核実験が2000回以上も行なわれ、原子炉が世界中で稼動して、放射性物質が風にばらまかれない日はない。そんな中で、人間もほかの生き物たちも、風上にいるか風下にいるかが運命の分かれ道となった。

 核戦争と核の冬を生活者の立場で描いたレイモンド・ブリッグスの作品のタイトルはWhen the Wind Blows(『風が吹くとき』)となり、福島第一原子力発電所の人災を予言した若松丈太郎の名詩は「みなみ風吹く日」(South Winds)という題名だ。なにも偶然に重なったわけではなく、人工の放射性物質が飛ばされる世界では、風の吹き回しが生死を決するのだ。

 風関連の新しい言葉も生まれた。原発あるいは原水爆の風下で、死の灰をかぶったり住む地域が汚染されたりして、被曝させられた人たちのことを英語でdownwinderと呼ぶようになった。核大国アメリカに生まれ育ったぼくは、もちろんdownwinderという単語を知っていたが、「日本語でなんと呼ぶか?」について2011年の春までは、考えたことがなかった。

 ある日、アメリカの友人からTシャツが届き、それはちょうど5月にシカゴ大学で開かれたシンポジウムThe Atomic Ageに合わせてデザインされたものだった。胸にイリノイ州バイロン原発の写真とdownwinderの定義がプリントされ、背のほうには放射能汚染に見舞われた場所の地名がずらずらとリストアップされていた。ヒロシマナガサキネバダもビキニも、チェリャビンスク、ウィンズケール、スリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、そしてトウカイムラ、ツルガ、フクシマも……長いリストを読んでいくうちにじわりじわりと実感がわく。ぼくらがみんなdownwindersである実感が。

 そしてふっと、頭が日本語に切り替わり、そのdownwinderに相当する表現がないことに気づいた。「カザシモビト」か「カザシモゾク」か「カザシモリアン」か……妻と二人でさらに考えて、彼女が打ち出した「風下っ子」に決定した。
「だあれが放射能を見たでしょう」と、とおりすぎてゆく風に、問いかけたくなる。

Who has seen radiation?
Neither I nor you:
But when our DNA is cut,
Radiation’s passing through...

アーサー・ビナード(Arthur Binard)
1967年、米国ミシガン州生まれ。ニューヨーク州のコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、絵本『ここが家だ――ベン・シャーン第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞を受賞。そのほか、エッセイ集に『亜米利加ニモ負ケズ』(日本経済新聞出版社)などがある。


(以上引用)

アーサー・ビナード(Arthur Binard)氏のブログ「日本語ハラゴナシ」より(2012年10月11日時点)
http://www.web-nihongo.com/column/haragonashi/index.html






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