小沢一郎への讃歌


検察官役の三指定弁護士(彼等を弁護士と呼べるのか?)が、最高裁への上告を公式に断念した昨日、小沢一郎は予定道り「生活が第一」の党本部で記者会見を行った。ついに、小沢一郎へ架けられた頚木が解かれた。

記者会見は短く地味なものであった。その中で、小沢一郎は東北人の訥々とした語り口で、言葉を選びながらシミジミと語った。

YouTube【2012年11月19日・党本部】小沢一郎代表 記者会見
https://www.youtube.com/watch?v=hPQ-5AFjDp0

耐えなければならない3年に及ぶ歳月であったこと。その臥薪嘗胆の歳月は、一面識もない市民による支持と支援によって耐えることができたこと。支援を惜しまなかった国民に深く感謝すること。彼を批判の矢面に立たせた権力を握る官僚、マスコミ、そして冷酷な同僚政治家たちへは、国民が正しい判断を下し、しかかるべき行動をしてくれると信じていること(「国民の裁き」と語った)、などを語った。

「暴走老人」の石原慎太郎と「若さ+ふらつき」が売りの橋下徹の政治的な野合がマスコミをにぎわわしている時、そしてマスコミとその論説家がこぞって無視を決め込んでいる中、小沢の記者会見は感動的でさえあった。

今回、私が彼の会見を聞き注目した点は、彼こそ、多分戦後史の中でただ一人の、真の民主主義を信奉し実践している稀有な政治家に違いないという、当然であるがあまり議論されない事実である。政治家を捨て駒のように扱うマスコミと官僚そして一部の国民、裏切りといかがわしい「風」に容易に揺れ動く政治家たちの中にあって、彼は国民の良心を信じて微動だにしない。小沢は、腸が煮えくり返るような疑獄事件(ちょっと古い表現だが)に落としこめられて、そしてそれが晴れても、あだ討ちをしようとさへしない。彼が果たしたい気持ちの全ては、国民の良心とその行動 -つまり「国民の裁き」- にゆだねようとしているのだ。彼自身は、皆が知るようになったこの悪しき体制を根本から治すべく、政治家として権力機構改革、マスコミの制度改革を引き受けようというのだ。小沢は、従前の主張とうりにそのことに取り組むはずである。その振る舞いに感服する。

思い返せば、私がデモに参加し始めたのは、近年では、2010年の晩秋、小沢「強制起訴」が決まった頃の小沢一郎支援行動からであった。誰も忘れてはいない、当時のマスコミは、強制起訴というだけで小沢一郎を(確定)犯人のごとく扱い、彼を葬り去ろうとしていた。

しかし、小沢の真価とその人柄に注目していた市民、それこそ彼と「一面識もない市民」たちが、裁判の不当性とマスコミ報道の批判を訴えるため、街頭に立ち、デモ行進をはじめ、叫び始めたのである。このころは、過去の抗議行動の流儀が忘れ去られていて、まだまだデモ行進のやり方が稚拙であった。マスコミは勿論、このような行動は完全無視、しかし中東のテレビ局アルジャジーラが取材に来ていたことを思い出す。そして翌年の1月から、私は立て続けに政治集会に参加するようになったのだった。3.11の直前のことであった。

その時から、2年が経過した。私も小沢一郎を支持する国民の一人である限り、小沢によって託されたこの疑獄事件の解明と仕掛けた犯人の告発の事業に参加していかなければならないと、決意を新たにしているところである。



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以下、インターネット上で小沢一郎への応援歌を詠っている2人のブログ記事を紹介しよう。


■ まず最初に、副島隆彦氏の同氏主宰の「重たい掲示板」への投稿記事

[1126] 政治情勢が激しく動いています、が、その前に 小沢裁判 の勝利、無罪確定のお祝いをしておきます。
(2012-11-17)


私は、解散・総選挙への急激な変化の前に、落ち着いて、まず書くべきことをここに書きます。 それは、小沢一郎の裁判の、政治弾圧としてのこの3年間の違法な裁判で、小沢一郎が昨日勝利したことを、皆でお祝いしなければいけない。
冷静な法律上の手続きとしての「小沢勝訴」の裁判の最終判決(11月16日確定)を、国民的な重要事項の確認の作業としてやっておかなければいけない。

小沢一郎をひたすら嫌い、煙たがる者たちによる、小沢無罪の最終決定(15日)に対して、無視と黙殺の さらに打ち続く、謀略としての 政治の馬鹿騒ぎの喧騒にかき消されてはならない。

小沢一郎への 「検察審査会による強制起訴の裁判」などと言う邪道の政治弾圧手法での長い裁判で、小沢一郎への無罪が確定した。この報道は、解散・総選挙(12月16日)の騒ぎの中で計画的にかき消されている。

 NHKでさえグルだからきちんと報道しない。 日本国の国民指導者である小沢一郎への許すべからざる 違法極まりない、検察庁最高裁判所判事ども・法務省“赤レンガ組”官僚たち「法の番人」という重要な役割を投げ捨てて、竹崎博允(たけさきひろのぶ)最高裁判所長官を最高の尖兵として、法律官僚、司法官僚までを総動員で使った、違法な政治弾圧だった。

 そして、彼ら「三宝会(アメリカの手先たちの総結集軸。政・官・産業界が合同している)司令本部」側の敗北という結果となった。 この大切な3年を私たち日本国民は空費した、と言うしかない。

(転載貼り付け始め)
省略
(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。以上のとおりの新聞報道をまずしっかりと私たちは確認しなければいけない。

 小沢一郎の政治活動を この3年間、違法裁判で釘付けにして、犯罪者として葬り去る奇策で封じ込めることで、小沢の両手を縛ってきた。あの2009年8月の、鳩山由紀夫政権誕生への、真面目な日本国民の熱気と熱い期待の中で始まった“小沢革命”、“国民無血革命“は、無惨に流産させられた。 

 アメリカの日本支配を続けるために「オール霞が関」(森ゆう子参議院議員の作った優れたコトバ)の法律官僚どもを手先に使った、恐るべき犯罪でっち上げの裁判攻撃で、小沢一郎が率いる真の日本改革派の若い政治家たちはヒドく追い詰められていった。

 国民の期待を一身に背負って「官僚主導政治から政治家(国民の代表たち)主導へ」の正しい目標を掲げた、私たち日本国民の希望の星だった民主党は、やがて土台を掘り崩されるように、綿密な策略どおりに、アメリカの手先どもに着々と乗っ取られ、2009年8月マニフェスト(国民との約束)を改竄、反故にされ、裏切り者の謀略人間ども(菅直人野田佳彦ら)による、投票操作などの犯罪によって民主党の代表(党首)選挙などで 次々と小沢一郎たちを追い詰めていった。

 私はこの3年間の日本の「退却戦、ジリ貧の戦線」を、我が事として、この苦闘を自分自身の苦しみとして毎日を生きた。

 私、副島隆彦はこの3年間ずっと、検察庁法務省最高裁裁判官たちまで使って、穢(きたな)い手口での、日本国民の 官僚政治打破への熱望を押しつぶした、小沢一郎への政治弾圧裁判に、激しく怒ってきた。今も怒っている。

 彼ら警察庁検察庁トップたちという下っ端だけでなく、法務省のトップどもや、最高裁の判事どもまでを、今からでも、正しく裁判にかけて、法の番人でありながら、違法行為の数々に手を染めた、あるいは手を貸した(共謀共同正犯= コンスピラシーの実行犯たち)として、刑務所に入れなければいけない。そうしなければ、この国の正義(ジャスティス justice )が死ぬ。

 小沢一郎は、自己への厳しい試練のこの3年間を、ひたすら我慢し続けた偉大な政治家だ。小沢一郎は、あれほどの検察庁最高裁判事ども(検察審査会の職員たちは最高裁の事務総局に属する国家公務員たちだ)による極悪非道極まりない、憲法違反(国民の代表たちへの政治弾圧)と数々の法律違反の裁判攻撃に対して、小沢一郎は、微(かす)かにも違法な手続きや、過剰な発言をしなかった。彼はひたすら耐えた。

 国民の言論の自由憲法21条)と「裁判制度(司法権)の政治・行政からの独立」を、犯罪検察・犯罪裁判官どもに対して、法廷(公判)の場で、静かに穏やかに説得し続けることで、よくぞ我慢し続けた、と私は、小沢一郎の、終始一貫、まさしく実質の日本国王としての堂々たる態度に、再最大限の賞賛をおくります。

 法律官僚、司法官僚どもまでも使った、悪逆の限りを尽くした者たちからの違法な「法律という刃物」を使った攻撃に対して、小沢一郎は、決して動揺すること無く、ひとつも間違いを犯すこと無く、ひたすら厳正で冷静な裁判手続を自分の弁護士たちと、ひとつひとつ丁寧に、自己防御として出来るすべてのことを、ひたすら自らを自制して行った。 

 日本国憲法体制の三権分立を立派に守り通したのは、自から犯罪者攻撃を受けながら耐え続けた、まさしく小沢一郎であった。

 この「小沢無罪の確定」のこの時、小沢一郎の素晴らしい、本当はこの国最高の権力者でありながら、自己抑制すべき国家権力の自己抑制の態度を最もよく知って忍耐を続けて、自分への不当極まりない政治弾圧に対して、昂然と正しい生き方と高潔な態度の取り方を貫いたことの、その凄さを、私たち日本国民が、最後の名誉、威厳を保った小沢一郎という日本国の最高指導者の誇り高い姿だと認定することが大事だ、そのように私、副島隆彦は思う、今、この時、日本の有識者たちが誰も、小沢一郎の苦労を労わず賞賛しないのはおかしなことだ。

 もう次の選挙のことで慌ただしく事態が動くものだから頭が一杯で、小沢勝訴、無罪確定に対して誰も小沢勝訴を祝う人がいないことを知って私、副島隆彦だけは、歴史の証言者、目撃者として、ここにしっかりと書いておきます。

http://www.snsi.jp/bbs/page/1/



■ 次に、天木直人氏の最新のブログ記事(「天木直人のブログ-日本の動きを伝えたい-」から

2012年11月20日
いまごろになって小沢無罪確定に「同情」する輿石幹事長

きょう20日の報道の中で私が注目したのは何と言っても小沢無罪確定に関する報道振りである。
 すなわち検察役の指定弁護士たちが19日に最高裁への上告を断念し
たことによって文字通り強制起訴以来の異常な国策裁判が小沢無罪の形
で終わった。

 大変厳しい忍耐と、試練の毎日だった。
 国民の支持なくしては重圧に耐えることはできなかった。
 こう述べた小沢一郎の言葉に嘘はない。その言葉は胸に迫る。
 そして私は小沢一郎が国民の支えに感謝した事を高く評価する。

 その国民たちとのわずかな接触を通じ、私はそれを実感した。
 あれだけメディアが大騒ぎした裁判である。
 これだけ政治を混迷させた裁判である。
 そしてその小沢強制起訴こそがいま我々が目にする政治の混迷をも
たらした大きな原因であった。

 小沢無罪確定をメディアがどう報じるか、そこに国民は注目すべきである。
 私が最も関心を持ったのはどのような識者がどのようなコメントを発したかであった。
 それを探したが見当たらない。
 誰も関わりたくないといわんばかりだ。
 小沢批判の時はあれほど多くの識者が色々な事を言ったのにである。

 そんな中でたった一つ見つけた。
 きょう20日の読売新聞が、輿石幹事長が大阪市内で記者団に対し
次のように述べたというベタ記事を掲載していた。
 「小沢氏の無罪は間違いないのに、有罪のような扱いをされてきた」
と述べて同情する姿勢を見せたというのだ。

 それならば言う。
 彼は一度でも小沢無罪のために本気で行動をとったというのか。
 政権与党の幹事長という最も政治的に強い立場にありながら、日本
の政治史上に残るこの権力犯罪についてそれを糾そうとしたことがあったか。
 徒手空拳の国民でさえここまで権力の不正を追い詰めたのである。

 私は亡くなった小田実の言葉を思い出す。
 すべてが終わった後で、近寄ってきて、
「実は私もあなたの考えに賛成でしたよ」と耳元で囁く者ほど
信用できない者はいない、という

あの言葉だ・・・

http://www.amakiblog.com/archives/2012/11/20/#002442






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