H.G.ポンティング(英国写真家)の見た日露戦争

「この世の楽園・日本」(In Lotus Land, Japan 1910)というややオーバーなタイトルの本がロンドンで出版された。100年以上前のことである。筆者は著名な写真家で有り、失敗に終わったスコット大佐の第二次南極探検に記録写真担当として同行した人物である。彼は世界の各地を写真家として旅行したが、殊の外、日本へ多大な好意を寄せた人物である。かなり贔屓目すぎるきらいがあるが、彼の観察眼は確かなものであるとえいよう。
彼の著作から一部を紹介しよう。それは第8章「日本の婦人について」に含まれている、日露戦争当時日本で遭遇したエピソードである。


…私は日本の赤十字社の活動を見たいと思って、ヒロシマ陸軍病院を訪問する許可を陸軍省からとりつけた。広島に到着して、初めて戦争の恐ろしさと、日本の取り組んでいる大変な仕事のことを、理解できるようになった。病院で過ごした何日かの間に、私は日本婦人についていろいろな事柄を学ぶことができたが、もしここにこなかったら、決してそれを知ることはできなかっただろう。というのは、ここの病院で、戦時に婦人がどれほど偉大で輝かしい役割を演じることができるかを、初めてこの目で見る機会があったからである。


手術室で外科医が看護婦に手伝わせて手術するのを、許可を得て見学したことが時々あるが、傷口から包帯を取りのづいたときのあまりの酷さに、血も凍るようなおもいをしたことが度々である。そのほかに、力尽きたかわいそうな英雄が息を引き取る時、ベッドの傍らに立っていたことが何度かあるが、日本の兵隊が悲しみに負けて涙をながすのを一度も見たことがないし、意識のあるうちに呻き声をだすのを聞いたことが無い。

ある日私は、回復期の患者を温泉に送って、そこで完全に回復させるための輸送列車を見ようと駅に出かけた。プラットフォームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が到着した。乗っている捕虜全員が戦争から開放された喜びで、大声で叫んだり歌を歌ったりしていた。中には小型の手風琴を鳴らしている者もいた。駅の構内全体に喧騒が満ち溢れた。ちょうどそのとき、反対の方向から別の列車が入ってきた。それは日本の兵士を満載した列車で、兵士たちは前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた。ロシア兵と日本兵はお互いの姿を見るやいなや、どの窓からも五、六人が顔を出して、みんなで歓呼の声を上げた。ロシア兵も日本兵も同じように懸命に万歳を叫んだ。列車が停まると日本兵は列車から飛びっ出して、不運(?)な捕虜のところへ駆け寄り、タバコや待っているあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。一方、ロシア兵は親切な敵兵の手を固く握りしめ、その頬にキスをしようとする者さえいた。私が今まで目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった。

……

松山で、ロシア兵たちは優しい日本の看護婦に限りない賞賛を捧げた。寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追うその様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。何人かの勇士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。ロシア兵が先ごろの戦争で経験したように、過去のすべての歴史において、敵と戦った兵士がこれほどの親切で寛大な敵に巡り合ったことは一度もなかっただあろう。それと同時に、どこの国の婦人でも、日本の婦人ほど気高く優しい役割を演じたことはなかったのではあるまいか。


「英国人写真家の見た明治日本」(H.G.ポンテシング著、長岡祥三訳、講談社学術文庫
257−264頁より

                          • -

追 加
(同書の同じ第8章から--日本の宿屋について)

日本を旅行するときに一番すばらしいことだと思うのは、何かにつけて婦人たちの優しい手助けなしには一日なりとも過ごせないことである。


中国やインドを旅行すると、何ヶ月も婦人と言葉をかわす機会のないことがある。それは、これらの国では召使が全部男で、女性が外国人の生活に関与することは全くないからだ。しかし、日本ではそうでない。これははるかに楽しいことである。日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は婦人たちの領域であり、宿屋でも同様である。優しい声をした可愛らしい女中たちが客の希望をすべて満たしてくれるので、宿屋についてから出発するまでの間に、いつの間にか貴方にとって彼女たちの存在がなくてはならないものに感じるようになる。日本の宿屋に滞在することには、最初なにかはっきり言い表せないような魅力がある。それが魅惑的だということだけは分かるが、なぜそうなのか貴方は深く考えて見ようとはしない。貴方をそれほど喜ばせるのは、どれほど快適かという問題では決してないし、食事が特に口に合うからでもない。それなのに貴方は外国式のホテルの代わりに、日本風の旅館に泊まりたがるのである。なぜだろうか? もし自分自身にそう問いかけてみれば、答えは簡単に出てくるだろう。それは日本の家へ一歩踏み入れれば、そこに婦人たちの優雅な支配力が感じられるからである。日本にはあらゆる美しさが備わっているが、もしも貴方を世話して寛がせ、どんなようでも足してくれる優しく明るい小柄な婦人たちがいなければ、魅力ある行楽向きの国とはならなかったであろう。彼女たちはいつも笑顔を絶やさず、外国人の客の要求がどんな不合理なことであっても、朝であろうが、夜であろうが、いつでも客の言いつけを喜んでしてくれるのだ。

過去に婦人の地位がどうであったにせよ、また現在それがどうなっているにせよ、宿屋以外のところで、(…)家の中で婦人の演ずる役割について、人々の見解が分かれることはない。彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないといろまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているだけなのを知らないのだ。

/*