M・バルガス・リョサの記事を読む


本年(1993) 09月20日の『読売新聞』朝刊1面(シリ−ズ『地球を読む』)に載ったマリオ・ バルガス・リョサの論説記事を読んだ。彼はペルー出身の高名な小説家であり、元国際ペンクラブ会長という肩書をもっているが、なによりも日本人にその名が広く知れるようになったのは、1990年のペル−大統領選挙の時であろう。当時、彼は次期大統領として最有力視されていたが、周知のように日系人フジモリに「予想外」の敗戦を喫っし、その直後からスペインに渡った。それ以来バルセロナに住み、小説を書き続けているという。また定かではないが、スペイン国籍を既に取得したとか未だしていないとかの噂が報じられている。

私としては、彼の文章を読むのは随分久しぶりのことである。というのも、かつて彼の小説を3冊ほど読もうとしたことがあった。代表作の『緑の家』は何とか1冊読み通したが、その場面転換の複雑さゆえに、メモを取りながらの読書であった。大部な『ラ・カテドラルでの対話』は途中で挫折したし、『誰がパロミ−ノ・モレ−ロを殺したか』はスペイン語の勉強のつもりで原文で読み始めたが、これも途中で挫折するという経験をもっている。

もちろん、政治的見解に関する彼の文章は全く読んだことがなかった。ただ、昨年私のペル−滞在中、フジモリの「アウトゴルペ」(大統領の自主ク−デタ−)の是非を問うラジオ・プログラマスの番組に、スペインから国際電話をかけてきて反対意見を長々と述べていたのを聞いたことがある。写真の風貌からは想像できないカン高い声と、熱っぽい彼の語り口がいまも耳に残っている。こういうわけだから、私は彼の文学はもとより政治的信条についてもそれほど知識を持ち合わせているわけではない。この度、偶然にも彼の論説記事を読むことができ、彼の政治信条の輪郭をおぼろげながら理解することができたような気がする。と同時に、私にはどうしても引っ掛かる或る論点が残ったのだった。


ちょっと長いリョサの記事

 リョサの記事は、「平和共存引き裂く--民族主義=権力の亡者に格好の道具」と題するもので、標題からはちょっと解りにくいのだが、この記事は旧ユ−ゴスラビアにおける民族紛争、ロシア領内のアルメニアアゼルバイジャンでの民族対立という冷戦後世界の中で噴出している難問「民族問題」を正面から取り上げ、民族主義者の蛮行を断罪するのが主な目的である。

結論的に、彼は、ミロシェビッチセルビア大統領一派を民族主義という「危険なイデオロギ−的空想」を利用する権力の亡者として、また彼らの「民族純化」行為は「近代史の現実」に逆行する蛮行であると厳しく断罪する。むしろ、旧ユ−ゴにおける民族宥和状況の方が「近代史の現実」に沿うものであったと述べる。このように、この論説は一見してきわめて政治色の強いものである。しかし、単なるデマゴ−グの文章ではもちろんない。日本の新聞ではあまりお目にかかれないような高邁な語り口、さらに時事的問題にさえ人類史的・近代史的位置付けを与えずにおかない知的態度などが、一読しての私の印象である。

 ところで、彼がこのような主張をするに至った背景に、「近代史の現実」というタ−ムに彼特有の強い思い入れがあるように私には思われる。そこで、まずこの点を中心に彼の述べるところを聴くことにしよう。

歴史認識の出発点は、当然のことながら「民族文化」(野生)の理解から始まる。リョサの「民族文化」に対する理解は、かなり正しい。彼は、「どんな文化にも、それぞれに帰属する人種を豊かにする賞賛すべき成分や思わぬ拾い物があることに疑問の余地はないが、そこには、また、個人がいまだ存在せず、部族という雑然とした胎盤の寄生物に過ぎなかった暗黒時代の醜く恐ろしい名残もあるのだ」と指摘する。さらに続けて彼はいう。人類は長い野生状態から、「部族意識を希薄にし、新しいより大きな社会を形成したほかの部族出身者と同じと自己を認識しはじめることができた時」、人類の「終りのない戦い」つまり「人類進化」という戦いがスタ−トした。

この人類進化という物差で過去を振り返るとき、明確に「人類史上の多くの文明や文化を序列付けることはできる」。「それは、こうした文明や文化が、個人を社会の歯車の単なる1片という原始的な状態から遠ざけ、個人の尊厳や固有で不可分の諸権利を認めてきたか、あるいは、個人を、人種・民族・階級・宗教の1片にしてしまい、自己同一性...を失わせてしまったかによ」って峻別され、「前者は文明を意味し、後者は野蛮を意味する」。

しかし、このような人類の「厳粛な企てには、直線的な進展は見られず、無数のつまずきや後退」が存在したことも事実であり、現代ではレヴィ=ストロ−スなどの人類学者が主張する世界的「多文化状況」が現出している。リョサはこの現状を是とせず、多文化状況の中で人類進化を持続させるためにはどうすればよいかを意図するが、この地点から、彼は分析的態度から政治的傾斜を始める。

「近代史の発展こそが、特に、この数10年の間に、世界で起きたことは...様々な文化をつなぐ共通分母がますます広く深いものになって、あらゆる文化に属する男女に忍び寄り、脱民族化を進めてきた」。ここでいう「共通分母」とは「人権と個人の自由の尊重」であり、これを「旗印とする地球規模の広範で柔軟な文明の下で、すべての民族的特殊性が連結する可能性は、もはやユ−トピアではなくなった」ことがとりもなおさず「近代史の現実」だ、とする認識を全面に押し出してくる。

この「近代史の現実」あるいは「近代化」に敵対するのが、かつての民族文化に潜む暗黒部分をひきずる民族主義に他ならず、これを側面から正統化しているのが「一見すると尊敬すべき人類学者」たちの提唱する「多文化主義」であるという。そのことによって、リョサ自身の立場、つまり実践的「国際主義」を際立たせようというのである。


「民族の時代」?

バルガス・リョサのこの論説記事は1面で、イテオロギ−の時代から「民族の時代」と呼ばれる現代にあって、その無秩序にして出口の見えない現状に警鐘を鳴らすという意味で、きわめて時宜を得た論説であるとえいよう。冷戦終結以前から、いわゆる「第三世界」においてはイスラム原理主義が台頭していたし、また今日の西欧社会では、旧ユ−ゴの悲惨な民族紛争はいうに及ばず、ネオナチや国粋主義(特にフランス)が活発になるなどリョサのいう「民族主義的解決策」を性急に求める不穏な動きが、世界で1つの潮流になる勢いである。

また、彼は、記事の中では一言も触れていないが、母国(?)のペル−社会を窮地に追いやっているセンデロ・ルミノッソやMRTAなどのテロリストのことが、脳裏をかすめていたにちがいない。一般に、彼らは純粋な左翼ゲリラのように受け取られているが、必ずしもそうではない。現実の行動面で彼らは確実に裏切っているものの、心底にはインデオによる白人社会の「レコンキスタ」(再征服)の願望を共通項にもっているといわれる。リョサが非難して止まない「民族主義的解決策」の追求が、また彼らの目標なのである。

私には、リョサの論説の底辺に流れているある「苛立ち」が解る。その苛立ちは、社会科学者、特に民族を相手にする人類学者に向けられたものだと思われる。

人類学の分野では、しばしばこれからは「民族の時代」だという。そして、奇しくも今年は国連「先住民年」に設定されているが、こういった「追い風の時代」に、人類学者は旧ユ−ゴの民族紛争の発生に戸惑い、その取り扱いに苦慮している。ある人類学者は、次のように述懐する。旧ユ−ゴで発生している民族対立は、国家権力と結び付いた「民族主義」に起因するものであり、人類学が分析対象としている民族社会とは別物であると。私も一応そう考えたいのだが、しかし、分析対象だという「民族社会」とは一体どんなものなのか。その人類学者は、続けて、旧ユ−ゴの「民族」対立は近代の創作物であるのに対し、民族社会は元来与えられた自然環境の中で互いに「棲み分け」して暮らすものである。仮に異民族同士が接触する場合でも、交易といった手段にうったえるのが常態であるという。

しかし、ここで言われている「民族社会」とは、リョサのいう民族文化の1面である「賞賛すべき成分や思わぬ拾い物」、つまり現実の民族社会から無時間的な或る諸成分だけをかき集めたものに過ぎないのではないか。もし人類学がこのようなモデル化された民族社会だけに拘泥し、そこでの小さな発見に満足しているのであれば、人類学は永久にリョサを失望させるに違いない。

私のアンデスでの浅いフィ−ルド・ワ−クの経験からも、民族社会の現実はこのようなものとは大きくかけ離れている。民族社会の特質を現代のコンテキストの中で直視するなら、第1に、民族社会に埋め込まれている「暗黒時代の醜く恐ろしい名残」からも目を背けるべきではないし、何よりも先ず、現実の民族社会が外部世界との接触で大きく変化していることを見落としてはならないと思われる。

現実の民族社会は、「不変」と「変化」の混合物として常に「歴史の中」にあるのだ。人類学の新たな潮流として、民族社会を歴史のコンテキストの中で捉え直そうという運動が興っているが、これは大いに歓迎すべき方向である。もっとも、人類学がこのような視点を大胆に取り入れたとしても、まだバルガス・リョサの「苛立ち」を和らげることは出来ないだろう。しかしそれは、実はいたし方のないことなのである。


リョサ「国際主義」

次の論点に移ろう。リョサが、人類の「厳粛な企て」である「進化」を持ち出し、様々の民族文化を「文明」と「野蛮」に分類する手法は、「進化主義」のそれを連想させるものがある。もちろん、19世紀的進化主義とは別物であると思われるが、それにしても釈然としない点が残るのである。

私の理解で「進化主義」をごく荒っぽくマトメると次のようになる。西洋社会は、近世初頭に資本主義世界経済を中核とした「世界システム」を形成し、人類史上まさに初めて地球的規模で諸民族文化圏を連結したのだった。このことをテコにして、諸民族文化圏の1つに過ぎなかった西洋文化が、「普遍性」を獲得し、それぞれが独自性をもち同時にある種の普遍性を宿している諸民族文化の上に君臨していくのであるが、この西洋文化の「普遍性」を鵜呑みにしたのが「進化主義」であろう。このことを新大陸文化の文脈で言えば、この西洋文化の「普遍性」とはとりもなおさず外来性でありかつ征服者の「普遍性」ということだ。

一方、リョサが「人類進化」を語るときの回路は、確かに、上のような「進化主義」とは異なるようにみえる。彼は、諸民族社会の連結可能な「共通分母」=普遍性を「人権と個人の自由の尊重」理念に求めるのだが、それは諸民族にとって外来的なものであるどころか、むしろ彼らが長い歴史の中で営々として追い求め、まさに彼らが共同作業として析出してきた理念であるとの認識に立っている。かつ、諸民族の共同作業によってのみ民族の壁は乗り越えられるという実践プログラムを明らかにする。まさに国際主義の真骨頂というべきだろう。このような彼の認識がまことに真実であれば、私としても大歓迎したい。

しかし、彼のいう「人権と自由」の人類理念と西洋文明の関係は一体どうなっているのだろうか。リョサは、進化主義についてはおろか、西洋文明の限界性についても何も述べていない。さらに加えて、望ましい未来の世界像を「市場と理念と技術の世界化と歩調を合わせた文化の世界化」と表現するのを我々が聞くとき、彼の思考法は「進化主義」の上に乗っているのではないかと疑わずにはおれない。

別の角度から、政治家としての彼の姿勢を見つめてみよう。西洋文明至上主義である「進化主義」の影を払拭した現代の人類学は、始めから人類に「普遍性」が存在するとすることに懐疑的である。むしろ、独自性の強い民族文化に深く分け入り、西洋文明の支配下で見えてこなかったが、しかし様々な民族の中に確かに生き続けている諸要素の洗い直しを重視する。しかし、これは1つの作業過程なのであって、人類に普遍的なるものが存在するのかどうかという点を含めて、真の普遍性を模索するための道程なのである。現代の人類学はそういうものである、少なくとも、私はそう考えている。

このような観点に立てば、リョサがよしとしない「多文化世界」も、やっと西洋至上主義の重しの取れた現代世界が通過しなければならない「踊り場」として許容しうるのだ。もちろん、この「多文化世界」が何処へ行き着くのか、それはいまだ見えてこないけれども、「踊り場」の先にまだ長い階梯が存在することだけは確かである。

ところが、政治家マリオ・バルガス・リョサには、旧ユ−ゴの民族対立という解決を迫られている問題が目の前にあるだけに、そういう悠長なことを考えて発言する余裕がないようだ。レヴィ=ストロ−スらの「多文化主義者」を民族主義者と同列に扱い、共に断罪しようとする姿勢は、その余裕のなさから生れているといってよいだろう。しかし、このような姿勢は、結局、彼が求めて止まない人類の「共通分母」を模索し・豊富化する道を閉ざすことになりかねないのである。


プーノ県の牧民集落の例

私は、1989年以来、ペル−南部のアンデス東側分水嶺近くに位置する牧民集落で社会人類学のフ−ルド・ワ−クを続けている。その集落は、パスト・グランデと呼ばれるリャマ・アルパカの牧畜を専業とする集落で、奇しくもバルガス・リョサの出生地であるアレキ−パ市から、直線距離にしてそう遠くない所にある。

もっとも、自然環境は大きく異なり、「高地プ−ナ」にある調査地では、高所砂漠のなかに氷河の融水を水源として点在する湿地帯(ボフェダル)が、唯一の生活の場である。標高4,000mに位置する最も近い麓の集落からも歩いて2日かかり、アンデスの中でも一番孤立した集落の1つに属する。彼らの生活には、J・ムラ博士のいう「アンデス的なるもの」(lo andino)がよく生き続けているが、一方で、確実に商品経済と近代化の波がおし寄せていることを実感する。しかし、そのことによって、この集落が即座に近代化の波に呑み込まれしまうとは決して思われない。「変化」するものの中に「不変」なるものがしっかり維持されている。

他面で、彼らの経済生活はアルパカ毛の世界市場と間接的ではあれ一定の関係を持ち続けているというのが、この集落の実状である。私の課題は、このような歴史状況の中にあるアンデス社会に生き続ける「不変」なるものの洗い直しと、そのようなものが歴史変化の中にありながら歴史を超えて生き続けている根拠は何か、さらには人類の共通項と呼べるものがそこに存在するのかどうかをさぐることである。

マリオ・バルガス・リョサは、同じペル−出身の作家であるホセ・マリア・アルゲ−ダスのインディヘニスモとは全く逆向きの道を歩み、アンデス地域から「国際主義者」に飛翔していくつもりなのであろう。一方、私は、リョサがあまり顧みようとしない、あるいは価値を置いていない彼の足下、つまりアンデス民族社会を深く理解したいと願っている。しかし、それは、かつてインディヘニスモがたどった道とは別のルートの登山道になるはずだ。

12,1993 (学生雑誌に掲載)

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